「それ以上その薄汚い口を開かない事だ。本当に口を効けなくしますよ。」
更にぐ、と爪先を食い込ませた所で強く腕を引かれて些か驚いた。
「もう止めてください・・・!」
涙の色を濃くした少年の顔に、骸は不思議そうに瞬きをした。
「君はどちらの味方なのですか?」
「味方・・・とかじゃなくてあの、止めて欲しくて・・・、救急車・・・あ・・・」
何度携帯を落とせば気が済むのだろうと、なんとなく思って
それからどちらの味方でもないと言って救急車を呼ぼうとしている少年を見詰めた。
その華奢な体とか震えて赤く染まる指先とか無防備な頬とか涙が伝う唇とか。
骸はそっと目を細めてから、開いたまま落ちた携帯を拾い上げた。
途中、さりげない仕草で指に力を込めると、逆側に押された携帯がパキ、と小さな音を立てた。
「ああ、壊れてしまってますよ。」
顔の高さまで持ち上げて見せると、明かりの消えたディスプレイにああ!と声が上がった。
「何度も落としちゃったからな・・・入学祝いで買って貰ったばっかりなのに、」
骸の故意に気付きもせずに、辺りをきょろきょろとしだした。
「あの、俺、公衆電話探して来ます・・・!」
駆け出しそうになった少年の腕を捕まえると、大きな目が更に大きく見開かれた。
「行きましょう。」
「え・・・!?でも・・・!」
まるで女性をエスコートするように腰に回された手に少年は慌てて、
それでも流れるような仕草に似つかわしくなく強引な腕に抗えなかった。
「あの・・・」
ちらちらと背後に広がる惨状を酷く気にする様子が何故か腹立たしくて、骸は足を速めた。
「そんなに簡単に死にませんよ。意識が戻れば勝手に帰るでしょう。」
骸の言い草にびくっと体を強張らせたのが分かって、
少し温度が違ったかと、骸は一度目を伏せてから柔らかく笑い掛けた。
戸惑うような仕草で大きな濡れた目が骸を見上げている。
「この辺りは物騒ですからね。まだ仲間が潜んでいるかもしれない。」
それに、と骸は困ったように笑ってみせた。
「僕もそんなに大勢は相手に出来ない。」
どんな人数であろうと負けるつもりはさらさらないが、
この場を早く立ち去るにはこう言った方が効果的だろう。
案の定少年はさ、と顔色を失くした。
「ごめんなさい・・・!あの、凄く強いから、あの・・・怪我、してないですか・・・!?
手、手とか痛くないですか・・・?」
今にも泣き出しそうな顔に自然と口元が緩んだ。
心配しているのだろうか。
ついさっき会ったばかりの人間を?
骸には不思議で仕方なかった。
あんな塵のために救急車を呼ぼうとしたり、泣いたり。
「君、新入生ですか?」
「え!?あ、はい・・・!」
問い掛けに答えもせずに微笑んだ骸に戸惑ったようだったが少年は素直に頷いた。
「あの・・・先輩、ですよね・・・?」
骸は思わず笑った。
「え・・・!あの、同級生にはいないなって・・・!」
そうですか、と骸は尚も笑った。
「僕は祝辞を述べたと思うのですが」
少年はぱちりと瞬きをした後、みるみる頬を赤く染め上げた。
「あ、あああ・・・!生徒会長!!?」
「式の最中は寝ていたのですか?」
「いえ・・・!寝てた、訳ではないんですけど・・・ちょっと意識飛んで、た、かも・・・」
この様子じゃきっと、骸の名前も知らないのだろう。
面白いと思った。
多くの人間が骸に気に入られようと媚びてへつらってくるのにこの少年は、
さっきからずっとずっと骸に対して「普通」に接してくる。
怯えたような様子はきっと誰に対してもそうなのだろう。
「家まで送りますよ。生徒を危ない目に遭わせられませんから。」
ね?と笑い掛けると、赤くなっている頬を更に赤くして俯いてしまった。
頼りない腰に当てた掌から伝わってくる体温が心地いい。
それなのにまだ後ろを気にしているので、面白くなかった。
「君を送った後、様子を見に行くので心配しなくていいですよ。」
「だ、駄目ですよ・・・!危ないです・・・、」
「大丈夫です。遠くから見るだけですから。必要なようだったら君の望む通りに警察でも何でも呼びますよ。」
それでようやく安心したのか、僅かに感じていた抵抗が完全になくなった。
抵抗がないのをいい事に、掌は腰に据えたままだった。
足を前に出す度に、細い腰の筋肉がしなやかな動きをするのがいい。
たまにちらちらと見上げてくるので笑い掛けると、
まだ濡れた瞳を大きく瞬かせて俯くのがいい。
妙だと思った。
いつもなら視界に入っても気付きもしないような存在の筈なのに
人に興味なんてなかったのに。
「あ、あの・・・俺の家ココです・・・」
控え目に指を差した家はごくごくありふれた平凡な家で
何かしら突出したものを感じさせない平凡な少年には似合いの家だった。
やはり妙だ。
周囲の人間に埋もれて消えそうなこんな少年が気に掛かる。
「え・・・っ!あ、あの・・・・?」
骸の長くて白い指が少年の幼い顎に添えられて、
まるでものでも扱うように横を向かせたりしている。
不躾にその顔を眺めるが、何も思わない。
けれど少年が睫毛を震わせて少し怯えたような戸惑うような恥ずかしがるような
目一杯の感情を顔に乗せると、途端に視界が開けた気がした。
しまいにはかぁ、と頬を染めてきゅう、と目を閉じるから
迂闊にも指で頬に触れてしまった。
無意識の事だったので、骸は不思議そうに自分の指を眺めた。
そっと開いた大きな目に気付いて、骸は笑い掛けた。
「そんな顔で家に帰ったら、御両親が心配しますよ。」
「あ・・・、」
泣き腫らした顔は一度も拭かれておらず、涙の痕が幾筋も流れていて
少年は慌てて顔を擦り始めた。
猫みたいだ、と思って骸の口元は知らずに緩んでいた。
「沢田君、というのですか?」
表札に目を向けると、少年も振り返ってから大きく頷いた。
「あ・・・!はい!1-Aの沢田綱吉です!」
「僕は三年の六道骸、です。」
どうせ知らないだろうから名乗ると、思った通り「六道先輩、」と口の中で呟いた。
骸がふと笑ったので、綱吉は慌てて手を振った。
「すみません・・・!慣れ慣れしいですよね・・・!」
「いいえ?随分可愛らしい呼び方をしてくれると思って。」
可愛い、と言う言葉に綱吉がわたわたしているのを視界の端に入れたまま、
骸は綱吉の携帯を持ち上げた。
「これ。」
「あ!そうだった・・・壊れたんだった・・・」
「これは僕が弁償します。」
「べ、弁償だなんて・・・!俺が悪いだけなんで、そんな・・・っ」
「いいえ。僕がもっと早く君に気付いていたら壊れなくて済んだかもしれない。」
「や、でも・・・!巻き込んだのは俺だし・・・」
もっと違う意味が込められていたのだが、綱吉に分かる筈がない。
「そうしないと僕の気が収まらないのですよ。」
ほらこうやって、人に負担が掛かると分かると途端に手を引っ込めてしまう。
骸は綺麗に口角を上げた。
「明日までに用意しておくので、生徒会室まで取りに来て下さい。」
口籠る綱吉に微笑み掛けてから、骸は踵を返した。
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