綱吉が記憶喪失
資料を見ていないので事実と異なることが多々あるかと思います。
パラレルとしてご容赦ください><
黒く塗り潰されるような記憶の底に一点の赤い光が強く光り、
ただその光に圧倒され眩暈が収まらない。
「沢田さん、今日はこの辺にしておきましょう。」
はっと顔を上げた綱吉の顔色は悪く、目の前に座っていた医者が大丈夫ですか、と声を掛けた。
綱吉は何とか微笑むと、大丈夫です、と返して診察室を後にした。
白い廊下に伸びる午後の光りの中を、綱吉は俯きがちに病室へ戻った。
綱吉には記憶がない。
目を開けたら病院のベットにいた。
目を開けたら、「自分」が何なのか分からなくなっていた。
今までどうやって生きて来たのか、家族の顔も、友人の顔も、自分の顔でさえ何もかも分からなくなっていた。
二カ月ほど前に、大きな事故に巻き込まれたらしい。
幸いなことに綱吉は掠り傷程度で済んで、そのことは最近知らされた。
どうやらその事故のショックで記憶を失ったようだ。
毎日カウンセリングと投薬を受けて、10日ほどで自分の顔は認識出来て、
ようやくここ一カ月で母親のことをそれとなくではあるが思い出してきた。
傍にいると安心するし、笑った顔が自分に似ていると思うと嬉しい気持ちにもなる。
ただ、すべてを思い出せないことに罪悪感を感じるのも事実だった。
最近大学の友人との面会も、10日に1回10分程度だが許可を貰えたのだが、
仲が良かったと言われても綱吉には一緒に写真に写っているひとたち、としか認識出来ないのだ。
記憶が戻るのか戻らないのかも分からないまま過ごすのは苦痛だった。
それにもうずっと頭の奥にこびり付いているものにも、酷く気持ちが沈んだ。
もしかしたら事故の断片的な記憶かもしれないのだが、
何を意味しているか分からないのだ。
ただ暗い縁に覗くような赤。
思い出すと体が強張って、胸がぎすぎすとして、焼け爛れていくような思いになる。
酷く、気分が重くなるのだ。
病室に戻るとほとんど倒れ込むようにしてベットに体を潜らせた。
自分の指先が白いシーツの上で光に透けている。
(いつになったら俺は、)
暗く重い気持ちに支配されそうになったとき、病室の窓がこんこん、と鳴った。
はっと顔を上げると少し煙るような窓の外には背の高い男が花束を持って立っていた。
綱吉と目が合うと柔らかな日差しの中で端正な顔を微笑ませる。
綱吉の唇にも微笑みが乗って、その大きな瞳も柔らかく細められた。
綱吉は立ち上がって病室の鍵を閉めると、窓を開いて男を迎え入れた。
「こんにちは。寝てましたか?」
男は藍色の長い髪をふわりとさせて難なく病室に足を踏み入れると、そっとカーテンを引いた。
「いえ。さっきカウンセリングが終わって、ちょっと横になってただけです。」
そうですか、と長身の男が微笑むと、綱吉もほんの少し照れたように笑った。
「どうぞ。」
「あ・・・いつもありがとうございます・・・」
差し出された黄色の花の花束に、綱吉はまた淡く頬を染めて顔を埋めるようにした。
男は、名前を六道骸と言った。
病院に運び込まれて3日も経たない頃、
自分が何なのかさえ分からずに不安と孤独に苛まれていたときにふと病室に現れたのだ。
最初に見たときは混乱した。
だって、誰だか分からない。
急に親しみを込めて微笑まれても、綱吉には身に覚えのないことなのだ。
恐怖さえ感じる不安の中で、綱吉は思わず骸に向かって不安をぶちまけてしまった。
泣き叫ぶようにして自分が何なのか分からないと縋ってしまった。
骸はそのときただ一言、「待ってます。」と言ってくれたのだ。
その言葉でどれほど救われたのか分からない。
それから骸は2日と開けず会いに来てくれた。
いつも綺麗な花束を持って。
「あの・・・六道さんは、どうしてそんなに俺によくしてくれるんですか・・・?」
綱吉の言葉に僅かに瞳に宿った寂しい色に、綱吉もまた悲しい表情をした。
「あ・・・ごめんなさい、」
こうしてここまで訪ねて来てくれるのだ、親しい友人だったに違いないのに無神経なことを言ってしまったと思った。
けれど骸は俯く綱吉の肩にそっと手を置いた。
はっとして視線を上げるとそこには骸の優しい瞳があって、綱吉は思わず瞳を揺らした。
「君は前から少し物忘れをすることがあったので、きっと僕のこともうっかり忘れているのでしょうね。」
綱吉は揺らした大きな瞳をぱちりと瞬かせると、小さく吹き出した。
「そうだったんですか?」
くすくすと笑うと、骸も同じように笑う。
「僕との約束も忘れることがありましたよ。」
「えぇ!?・・・ごめんなさい・・・」
骸がとても面白そうに笑うので、綱吉も可笑しくなって笑ってしまった。
家族や友人は、綱吉に記憶がないことについて何も言わない。
もしかしたら医者にそう言われているのかもしれないが、
家族も友人も優しいひとたちばかりだからきっと、綱吉のことを気遣って労わってくれているのだ。
それはとても有難いこと。
けれど身勝手だと分かっていても、その優しさを辛く思ってしまう時があるのも事実だった。
昔からそういう性格だったらしいのだが、優しさを申し訳なく思って自分を責めてしまうのだ。
だから骸がこうして昔のことを気兼ねなく言って、笑ってくれるのがとても有難かった。
それに、自分のことをよく分かってくれているように思えてしまう。
例えば花を贈ってくれることだって、枯れた花束をゴミ箱ではなく花壇の土の上に置いてくれることだって、
そんな些細なことだけれど、自分のことを知っていてくれているように思えるのだ。
医者にはまだ面会の許可を貰っていないひとではあるけど、
骸の窓からの来訪をどこかで待っていることは綱吉自身気付いている。
頬を紅潮させて笑っていた綱吉は、ふと意を決したように自分の指先を握った。
「あの・・・六道さんと俺って・・・」
それでも躊躇った綱吉に、骸はふと笑い掛けた。
綱吉はまた瞳を揺らす。
「君が知りたいと望むなら、僕は話しても構わないと思ってますよ。」
「あ、りがとう・・・」
また助けられたような気持ちになって、そっと微笑んだ綱吉に骸も柔らかく微笑む。
綱吉はその微笑みに背中を押されるように、ベットサイドのアルバムを引き寄せた。
「あの、母さんにアルバムを持って来て貰ったんです。・・・・どこにも六道さんがいなくって・・・」
「大学1年の時のアルバムはありますか?」
「あ、はい!」
薄いアルバムの表紙を何冊か捲って、大学1年のアルバムを見付けると骸に手渡した。
アルバムを受け取った骸は長い指でページを捲っていき、辿り着いたページを綱吉に向けて
一緒に覗き込むようにベットに腰を掛けた。
骸が差し出した写真には、小奇麗なカフェが映っている。
「ここ・・・えっと、確か俺が半年くらいバイトしてた喫茶店・・・?」
「そうです。僕と君はここで出会いました。」
「ここで・・・」
呟いて視線を上げると思いの外骸の顔がすぐ近くにあって、
どく、と心臓が鳴ったような気がして綱吉は慌てて写真に視線を戻した。
写真の中の光景は何も変わらない。
けれど、その事実を知ってから見ると不思議と違って見えた。
ここで、骸と出会った。
「とは言っても、僕がこの店の中に入ったのは二回だけですが。」
「え!?あ・・・一緒に働いてた訳ではなんですか?」
くす、と笑った骸の肩から長い髪がさらと落ちて、綱吉は無意識に頬を赤くしてまた俯いた。
「僕が学生に見えますか?嬉しいことを言ってくれますね。」
「う・・・いや、」
頬を赤くしたままむぐむぐと言葉に詰まる綱吉に笑って、
骸はアルバムの中のカフェに視線を戻す。
「僕はもうその時は働いていて、たまたま入った喫茶店に君がいました。」
「あ・・・じゃあ、外で会ったりしてたんですか?」
「え?」
「あ・・・!あの、勝手に思ってるだけなんですけど・・・仲良かったらいいなとか・・・」
骸は話しているだけでも分かるくらい、きっと頭がいい人なんだと思っていた。
背も高くて、顔だって男の綱吉が見ても格好いいと思う。
それに何より、とても優しい。
反応がない骸に不安になってしまって、ちらと大きな目を持ち上げると
綱吉がいつも綺麗だと思って眺めている色の違う瞳が、ただただまっすぐに綱吉だけを見詰めていて
綱吉は瞬きも忘れて息を詰めた。
「あ、の・・・」
骸は綱吉の声に反応するように長い睫毛を伏せると、小さく微笑んで呟くように言った。
「・・・まさかまた、そんなことを言って貰えるとは思わなくて、」
ほんの少し落ちた沈黙のあと、骸は微笑んだ。
「今日はこのくらいにしましょうか。急にたくさん話したら、混乱してしまうと思うから。」
「あ・・・、」
「・・・また、明日来てもいいですか?」
勢い込むように何度も頷いてしまった綱吉に、
骸は満足そうに微笑んだ。
「許可なく来ているのが見付かったら会わせて貰えなくなるかもしれないので、
また窓から来ますね。」
綱吉はくすくす笑って「それならまた窓の鍵は開けておきますね。」と言った。
骸は窓の外に誰もいないのを確認してから、軽々と外に出て窓越しに綱吉に手を振った。
綱吉も笑ってそれに応えた。
綱吉は鼓動を抑えるように胸の上に手を置いた。
骸に見詰められると、息が、止まりそうになる。
何か大切なことを忘れているような、焦燥感に見舞われて、心臓がぐずぐずとする。
家族にも友人にも、こんな思いにはならないのに。
*
綱吉はベットに腰を掛けて、少し落ち着きなく窓の外を覗いていた。