「まあ、綺麗なお花がまた増えたわね。」

病室に入るなり、母親は目を丸くしてからふんわりと笑った。

「うん。いい匂いなんだ。」

部屋の中に溢れんばかりに咲く花の香りを嗅ぐように、綱吉はそっと鼻先を寄せた。

「ツッくんにこんなに綺麗なお花を贈ってくれるひとがいて、母さん嬉しいわ。」

綱吉はぱちぱちと瞬きをして恥ずかしそうに微笑んだ。

誰が贈っているのか言えないでいると、母親はそれ以上は聞いてこなかった。

その上、骸に貰った花束を褒めてくれて嬉しい気持ちになる。

「・・・そう言えば、俺を事故の現場から病院に運んでくれたひとって見付かったの?」

「え?」

綱吉から事故の話をしたことに驚いたように目を瞬かせたが、間を置かずに母親は笑った。

「いいえ。見付かってないのよ。気付いたらいなくなってて、お礼がしたいんだけど・・・」

「そう。」

何で今そんなことを訊いたのか綱吉自身よく分からなかったが、
花の香りを嗅いでいたらふと頭を過った。

答えがどうであれ綱吉は納得しただろうという程度の質問だったが、母親が続けた言葉に胸がざわめいた。

「背の高い男のひとでね、綺麗な色の目をしてたのよ。」

「え?」


*


「おや?」

病室の窓にぺったりと張り付くようにして立っていた綱吉を見付けるなり、骸は緩く笑い出した。

「どうしました?」

いつものように綱吉は窓を開けて骸を迎え入れるが、
その表情はどこか急いでいるような、そんな表情だった。

「母さんから聞いたんです。」

乗り出すように話し始めた綱吉に、骸は緩く首を傾けて続きを促すように微笑んだ。

「俺を事故の現場から病院まで運んでくれたひとのことです。」

そこまで言うと骸の瞳には複雑な色が浮かび、長い睫毛を伏せてしまった。
それでも綱吉は頬を紅潮させて、骸との距離を詰めた。

「青と赤の綺麗な目をした背の高いひとだったて、六道さんも青と赤の綺麗な目をしてるから、」

「綺麗、ですかね・・・」

長い指がそっと瞼に触れるようにすると、綱吉は骸の腕を掴んだ。

「綺麗・・・綺麗です。」

ただ目を合わせ言葉を忘れたように見詰め合って、
それから骸は瞳を滲ませた綱吉の肩をそっと掴むとゆっくりとベットに座らせた。

綱吉はそっと唇を開いた。

「いけないって分かってたんですけど、母さんの携帯から当時のニュースをこっそり見たんです。
そしたら事故に巻き込まれたひとたちは、怪我をしてなかったひとたちも救急車を待つ間に被害が大きくなって
・・・・亡くなっちゃったって・・・」

骸が綱吉の前に膝を付くように座ったから綱吉ははっとして
見上げてくる骸の真摯な瞳を見詰め返した。

「・・・事故のとき、確かに君と一緒にいたのは僕です。病院に運んだのも僕です。
君を、助けてあげられなかったから、だから今まで言い出せなかった。」

悲痛に眉根を寄せる骸に綱吉は緩く首を振ってから、今度はきちんと強く振った。

「気を失った俺があのままあそこにいたら、今ここにいなかったと思うから・・・
だから、六道さんは俺の命の恩人なんです・・・」

「・・・ありがとう、救われた気持ちです、」

「・・・いいえ、俺が今までどれほど六道さんに救われたかなんて言い尽せないです・・・」

言ってから綱吉は滲んだ瞳を擦って微笑んだ。

「母さんも六道さんにお礼がしたいって言ってたから、もしよかったら会ってくれませんか?」

骸はどこか寂しそうな笑みを浮かべた。

その笑みに綱吉は心を抉られるような気持ちになって、
隣に腰を掛けて来た骸を目で追っていた。

「・・・大学の友人は、山本くんと獄寺くん、でしたか。」

「!・・・はい!」

「彼らも沢田くんのお母様も、僕のことを知りません。」

「・・・え?」

「お友達は、沢田くんが他に親しくしている人間がいることに気付いてはいるようでしたが、
それでも僕の名前も顔も知りません。」

静かに紡がれる言葉に綱吉は、骸の横顔ばかりを見詰めていた。

「写真も、事故のあとに引き払ったアパートの荷物の中にも、僕に繋がるようなものはひとつもないんです。」

「ど、して・・・?」

「意図してそうしていたからです。沢田くんの将来に、傷がつかないように。」

「え・・・?」

「それと、周りのひとたちに理解されずにお互い苦しむことを・・・避けるためでした。」

紡がれる言葉を理解出来ずにとうとう言葉を失った綱吉は、
大きな瞳を揺らしてどこか寂しそうな骸を見詰めた。


骸の伏せられた長い睫毛の縁は水分を孕んできるように見えて、胸が苦しくなった。



落ちた瞼に赤い瞳が、見えなくなる。



赤い。



赤。



突然奈落の闇が口を開いたような錯覚に襲われ
足元から這い上がる闇の触手にすべてを飲み込まれそうになったとき、


「沢田くん!」

はっと引き戻されれば背中は冷たい汗に濡らされて、
心臓は叩きつけるような鼓動を繰り返して短く息を吐き続ける。

ふわ、と背中を摩り始めた大きな手に綱吉は目を滲ませた。

「ろ、くどうさん・・・おれ、」

骸は慈しむような目でもって綱吉を見詰め、綱吉は堪らず涙をひとつ落とした。

「・・・僕と話していると事故を思い出してしまうようですね・・・。無理もありません。そのとき隣にいたのだから。」

「でも・・・俺は、」

骸は柔らかく笑って頬の涙の跡をそっと拭った。

「今日はここまでにしましょう。」

綱吉は小さな子供のように首を振った。

「俺、」

「焦ることはありませんよ。・・・僕は、君に無理をして欲しくないです。」

強い意志で言われたら、綱吉はただその手に縋るしか出来なかった。

「少し眠った方がいい。」

そっとベットに寝かし付けられて、柔らかく上掛けを掛けられた。

「六道さん、」

「安心して。君が眠るまで傍にいます。」

大きな手がゆっくりと優しく胸元を叩き、心地よさを刻む。
包み込まれた温かさに落ち着きを取り戻し始めた心は、ゆったりと眠りへと向かった。



僕たちのことを知ってもどうか驚かないで、



骸の声は夢だったのか、現実だったのか。






次の日は、柔らかな雨が降っていた。


綱吉は骸が濡れてしまわないか心配で、病室の窓から低い雲を見上げていた。

昼下がり、夕暮れに向かういつもの時間に骸は来てくれた。

「六道さん!傘は?」

しっとりと髪を濡らした骸は、窓の外でどこか寂しそうに微笑んだ。

「・・・あの、これよかったら。」

綱吉が差し出したタオルを受け取った骸はありがとう、と呟いてそっとタオルに顔を寄せた。

一向に病室に足を踏み入れる気配のない骸に、綱吉も寂しそうな顔をした。

「・・・今日は、時間がありませんか?」

骸は緩やかに顔を上げると、ちゃんと綱吉と目を合わせてから口を開いた。

「昨日の続きを話すのに、少し時間を貰えませんか?」

柔らかな雨がそっと髪を伝って憂いを乗せる唇を伝った。

綱吉はゆっくりと瞬きをしてから微笑んだ。

「はい、待ってます。六道さんは、俺を待ってるって言ってくれたから、俺も六道さんを待ちます。」

窓枠に掛けられた綱吉の手の上にほんの少し雨に濡れた手が重なって、
綱吉がはっと顔を上げると骸の色の違う瞳と目が合って、息が、止まりそうになった。

「ありがとう。また、必ず来ます。」


約束だけを残して去った骸の手の温度に、綱吉の胸の奥が痛くなった。


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2010.03.28