性描写アリ


骸を待つ間の雨は憂鬱に思えた。

けれど雲が晴れても骸が来なければきっと憂鬱なのだろうと思う。

いつの間にか来てくれることを当たり前のように思っていたようで、
会えないとなると寂しかった。

(六道さんと俺ってどんな関係だったんだろう・・・)

友人、ではないのだろうか。
言うのを躊躇うのなら、きっと何かあったのだろう。
考えれば考えるほど分からなくて、ただ骸が来るのを息を潜めるようにひっそりと待っていた。

雨は3日間降り続いた。

3日間、綱吉は窓を叩く雨をぼんやりと眺めて骸を想った。



雨の雫が濡らした木々を伝って落ちる。

もしかしたら骸はもう来ないのではないかと薄らと思い始めて苦しくなった4日目の昼下がり、
仄かに陽が差し始めたときに骸は病室の窓を控え目に叩いた。

綱吉は弾かれるように体を起して窓に駆け寄った。

窓を開けると雨の匂いに混ざって花束の優しい香りがする。

そして見上げれば何も変わらず優しく微笑む骸がいた。

いつものように病室に迎え入れて、手渡された花束にとくりと心臓が鳴る。
一度高鳴ってしまえば後は速さを増すばかりだった。

花束に体を埋めるようにソファに腰を掛けた骸が
造作の整った人形のように見えてまた鼓動が高鳴った。

骸は長い睫毛にほんの少し躊躇いを乗せたあと、ひとつ息を吐いて綱吉をまっすぐに見詰めた。

綱吉は、その瞳を真摯に受け止めた。

骸の形の良い唇がゆっくりと動く。

「僕と、沢田くんは、」

大きく心臓が鼓動を刻む。

「恋愛感情を持って、お付き合いしてました。」

見開かれた綱吉の大きな瞳には、そっと瞳を伏せた骸が映る。

「・・・驚くのは、無理もありません。僕も沢田くんも、元は同性愛者ではなかったから。」

「・・・え?」

「君も僕と出会うまで、まさか男を好きになるとは夢にも思ってかったようです。
僕に至っては初めてひとを愛してると思えたのが君でした。・・・言ってしまえば初恋、ですかね。」

予想だにしなかった関係に驚きを隠せない綱吉だったが、ただひたすらに純粋な骸の言葉に、胸が揺れた。

「君に一目惚れをしてしまった僕自身も戸惑いました。受け入れて貰えるはずなんかないと分かっていながら、諦められなかった。・・・でも、君は僕を愛してくれた。」

はっきりと言い切られた言葉に、瞳が揺れる。

「・・・記憶を失くしてしまった今、以前と同じように僕を愛してくれるとは思ってません。戸惑いしかないと思います。でも、」

懇願を乗せる青と、赤の瞳は切ない色を乗せていて、
綱吉まで胸が痛んだ。

「・・・せめて、友人でいることだけは許してください。」

「許すだなんて、そんな・・・あの、」

骸の瞳を見ていられずに、綱吉は思わず視線を自分の手元に落としてしまった。

とても優しくて、男から見ても綺麗な骸。
けれど今すぐに恋愛感情を持てるのかと言ったら、分からない。

「・・・正直、戸惑ってます・・・昔と同じ気持ちになれるかも分かりません・・・」

それでも、ひとつだけはっきり分かったことがある。

「でも、傍に、いて欲しいと思ってます・・・」

我儘だろうかと、きゅっと唇を噛んだ綱吉に、優しい声が掛かる。

「・・・それなら、また会いに来ても構わないですか?」

はっとして見上げた先で骸が優しく笑うから、綱吉もほのかに頬を染めて微笑んだ。

「会いに来てください・・・」

よかった、と言って安心したように笑った骸に、綱吉は意味も分からず嬉しくなった。



それからも骸は短い時間でも毎日会いに来てくれた。

骸から昔の話を聞くのが好きだった。

目一杯の愛しさを乗せて紡がれる言葉に、どれほど自分を想ってくれていたのか分かるから。


「沢田くんが合宿なんかに行くと、こっそり現地で会ったりしてたんですよ。」

「誰にも気付かれないように?」

ええ、と骸は笑う。
ふたりでアルバムを覗き込む。

「ここにも行ったし、ここにも行きました。」

「わ!ほとんどじゃないですか!」

「ええ。心配だったので。」

「心配、ですか?」

「沢田くんが、他のひとに盗られないかどうか。」

「な、」

短い声を漏らして耳まで赤くして固まってしまった綱吉に、、骸は小さく笑う。


目の前に差し出された華奢な細工の洋菓子に、綱吉はわあと息を吐いた。

「わ、あ・・・綺麗ですね・・・」

思わずうっとりと瞳を細めた綱吉に、骸はよかったと言って笑った。

「喜んでくれるかと思って。」

「はい!凄く嬉しいです・・・」

「知り合いに頼んで作って貰いました。食べられるんですよ。」

「食べるのもったいないですね・・・取って置けないかなぁ。」

「生菓子ですからね。いずれ形も崩れてしまいます。」

「そっかぁ・・・じゃあ写真撮っておこうかな。明日母さんにカメラ持って来て貰います。」

「君はいつも、」

穏やかにそう言ってから、骸は一度瞬きをするとそのままゆったりと口を閉ざしてしまった。


綱吉はどこか寂しそうな骸の横顔に得体の知れぬ不安を覚えた。


「・・・いつも?」

先を促すと骸は少しはっとした様子で、けれど自分を見上げる綱吉の瞳に気付くと
些か申し訳なさそうに微笑んだ。

「いえ、何でもありません。」


骸から昔の話を聞くのが好きだった。


目一杯の愛しさを乗せて紡がれる言葉に、どれほど自分を想ってくれていたのか分かるから。



でも、その日から骸は口を閉ざしてしまった。

*

「すみません、沢田さん!!この馬鹿野郎のせいで遅れてしまって・・・!!」

「悪ぃな、ツナ。部活が遅くなっちまって。」

「てめぇちゃんと謝りやがれ!!」

「わ!だ、大丈夫だよ・・・!!いつでも待ってるから!!」

山本の胸倉を掴みそうになった獄寺の間に割って入ると、
獄寺は途端に手を止めて笑って、いそいそと鞄からノートを取り出した。

「沢田さん、これ講義のノートっす!」

「ありがとう!」

見たところで授業の内容はまるで分からないのだけれど、変わらずにノートを届けてくれる優しさにじんわりと嬉しい気持ちになる。

友人の獄寺と山本は、自分にはもったいないくらい優しい。

綱吉はふと睫毛を揺らした。


骸もとても、優しい。


「ツナ?」

「え!?あ、ごめん!何か言った・・・?」

山本は小さく笑った。

「いや。元気ねぇからさ!」

「あ・・・うん、あのさ・・・」

「ん?」

「俺って・・・付き合ってるひととかいたのかな・・・?」

言ってから綱吉はかあと頬を染めて慌てて「ごめん何でもない!」と言った。

「忘れて!」

山本と獄寺は顔を見合わせた。



「六道さん、この間の続きが聞きたいです。合宿のときの話。」

促すけど骸は、ただ微笑むだけだった。


きっと骸は気付いてしまったんだ。


例えば仕草ひとつを取ったって、ほんの少し違えば別人に思えてしまうこと。

あの時恐らく記憶を失くす前の自分と違うことを言ってしまったんだ。

取り返しは付かないのだろうか。



骸が想っているのは「誰」なのだろうか。






「今日はここまでにしておきましょう。」

机の上に置かれたカルテにペンが走っていく。

綱吉はそれを震えるような眼差しで見ていた。

「あの・・・先生、」

「どうしました?」

「・・・俺の記憶って、いつ戻りますか・・・?」

不安を少しも隠さない瞳に返って来る言葉。

「焦らずに、ゆっくり治して行きましょうね。」

「・・・はい、」

綱吉はほんの少しだけ口角を上げようとしたが、すぐにその口元は震えた。


骸と記憶を共有出来ない。


それがこんなにも歯痒いこととは思わなかった。


骸はいつも、きっとそこで一緒に見ただろう風景を教えてくれる。

そこにいたんだと思える。

けれど骸は何も言ってくれなくなった。

友達も母親も何も言ってくれないから、「本当のこと」を言ってくれるのは骸だけだと思っていたから、
だから骸まで何も言ってくれなくなったら「自分」が何なのか分からなくなる。



不安定になる。



「沢田くん、」

「え!?わ・・・!」

骸は名前を呼んだだけなのに、綱吉は手に持っていたペットボトルをひっくり返してしまった。

慌てて拾い上げたが、シーツの上に炭酸を含んだ淡い色の液体が広がった。

「大丈夫ですか?」

骸は傍にあった布巾でそっとシーツを撫でた。

「あ!あの、俺やります・・・!」

「大丈夫ですよ、これくらい。」

くす、と笑って布巾でとんとんとシーツを緩く叩くように拭き取っていく。
たちまち薄くなっていく染みを見ながら、自分の鈍臭さにぼんやりと睫毛を伏せた。

「あの・・・」

「はい?」

「六道さんは・・・俺といて楽しいですか?」

思い掛けない問い掛けだったように骸は目を丸くしてから、もちろん、と笑った。

「そうじゃなければこんなに通って来ませんよ。」


それなら記憶を失くす前の自分といるのとどちらが楽しいですか。


出掛かった言葉は喉に詰まって音にならなかった。


骸ならきっとどちらも楽しいと言ってくれるだろう。



けれどどこかで恐れている。



昔の綱吉の方が良かったと言われるのを。




なかなか寝付けなくて、眠っても悪い夢ばかり見た。


深い、どこまでも深い黒に、捕らわれる。


夢の間を行ったり来たりして、寝苦しくて綱吉は小さな唇から短く息を吐く。


どこかの道で、電車の中で、階段で、薄暗い部屋の中で、


寝返りを打つが、断片的な映像はこびり付いて離れない。


塗り潰したような黒に赤が光る。


これは、夢なのか、現実なのか。


伸びる黒が腕を捕える。


潰すような力で手首を掴み、押さえ付け、


「・・・!」


恐怖のあまり無理矢理意識が目を覚まして、窓の外を見て綱吉は声にならない悲鳴を上げた。



緩くしか閉じられていないカーテンの狭間で、赤が。



笑った。



「あ・・・、」

震える手で口元を押さえ、ど、ど、と鼓動が強く胸を叩く。

「六道さん・・・、」

安堵の息を吐くように名前を呼んだ綱吉に、声は聞こえなかっただろうけど骸は窓の外で小さく手を振った。

綱吉はベットを降りてスリッパを突っ掛けると、まだ覚束ない呼吸で窓を開けた。
少し冷たい風が髪を揺らす。

「・・・こんな時間なら寝ていて当たり前ですよね。」

骸は腕時計に視線を落として苦笑するから、綱吉もベットサイドの時計に目を向けた。
時計を見ると午前3時過ぎだった。

「仕事帰りなのですが、君の顔が見たくなって・・・」

「え・・・!?こんな時間まで!?」

少し大きな声を出してしまって、慌てて口を押さえた綱吉に骸は笑う。

「ええ。徹夜ではなかっただけマシですよ。」

綱吉は大きな目で骸を見上げて感嘆の息を吐いた。
楽しそうに笑う骸の後ろで丸い月が光る。

瞳を奪われたように見上げてくる綱吉に、骸はふと寂しそうな笑みを浮かべるから、綱吉の心は風に揺らされるように乱された。

「・・・仕事がまた忙しくなってきて、毎日は来られなくなりました。」

「あ・・・、」

冷たい風が、心まで冷やしていくようだった。

冷え始めた頬を、すっと掠めるように白い指が添えられて、俯いていた綱吉は弾かれるように顔を上げた。

それでも骸は寂しそうな笑みを浮かべる。

「少しくらい寂しいと思ってくれますか、」


離れていく指先。


綱吉は分からないくらいに唇を震わせてから、そっと睫毛を伏せた。

「・・・いえ。大丈夫です。」

そうですか、と微笑んだ骸の口元だけを視界に入れて、綱吉は睫毛を揺らした。

「遅くにすみませんでした。・・・おやすみなさい。」

「・・・おやすみなさい。」

長い髪が夜の光りに揺れる。

曲がり角で骸が振り返って、小さく手を振った。
綱吉も何とか微笑んで手を振り返す。


その姿が、見えなくなる。


引き止めてはいけないと思った。


骸の知っている「綱吉」は、今の「自分」ではない気がして。


骸は優しいから、自分が寂しがれば傍にいてくれると思う。


でも、いつまでも引き止めてはいけない。
骸にも、逃げ道を作ってあげなければならない。



綱吉の冷えた頬に、涙が伝った。




NEXT