いつものように、ごくありふれた、何て事ない夜が更けていくと信じていた。

チビたちを寝かしつけて、自分もそろそろ寝ようかな、なんてこれから来る至福の睡眠時間に胸をトキめかせていた頃に、それは突然やってきた。

トン、トン   ゆっくりと、神経質にドアをノックする音。

この家にドアをノックする人間は存在しない。

トン、トン、トン
  一定のリズムを刻んで再びドアが叩かれた。

山本も獄寺もまずこんな時間には来ないだろうし、来たとしても始めに外から声を掛けてくる。

綱吉は得体の知れない焦燥感に見舞われた。
部屋の前にいるという事は玄関から入って来たのだろう、 奈々が不審者を家に招き入れる訳はないし、取り立てて悲鳴も聞こえて来なかったので、強盗の類でもなさそうだ。

けれど綱吉は酷い焦燥感に見舞われている。

季節外れの汗は、だらだらと背を伝い顔を伝う。

トン、トン、トン、トン   三度扉は叩かれた。

綱吉は盛大に体を震わせた。
どうぞ、の一言がどうしても出てこない。
これは開けるな、と超直感が働いているのだろうか。
ごくり、と固唾を飲んだ。  

トン、トン、トン、トン、トン、・・・・・
 規則正しく神経質に鳴り響くノック音。  

(ひいいいいい!!!!!)
 

中に人がいるのを知っているドアの叩き方、
人を
追い詰めるのを分かっているドアの叩き方。
 
扉を開けなければずっと叩き続けるのではないかと思わせる粘着質な音。  

綱吉はがたがた震えながら壁に体を押し付けるようにして後ずさった。
 

トン、と不意に音が途切れた。
一瞬の静寂の後、微かな金属音を立てて、ノブが、ゆっくり、回り始めた。    

「う、あ・・・」
 

無意識に呻き声が漏れる。  

普段気にもならなかった筈のドアの軋みが、悲鳴に似た音を上げる。
恐ろしいけれど、体も視線も固まって動かない。
ひた、と部屋に足が入り込む。  闇から溶け出るようにドアの影から青白い顔が覗いた。  

「ぎゃああああああ!!!!!むくろでたー!!!!!!!!!!!!!」
 

ドアの影から顔を出したのは、
あの六道骸だった。
 

骸は忌々しげに眉根を寄せて目を伏せると、手で軽く耳を覆って「騒々しい」と吐き捨てるように言った。
 

「ちょ、おま、な」
 

予想だにしていなかった人物の登場に激しく動揺し、全く言葉が出てこない。

骸は途切れ途切れの音しか出せない綱吉を、まるで汚いものでも見るような目付きで見下ろした。  
「な、んで」
  と、漸くひとつの言葉になった時、骸は更にきつく眉根を寄せて鋭利な殺気を滲ませた。  

「眠れないんですよ・・・!」
 

「ふえ・・・・?」
 

般若のような形相で「眠れない」と言われても、全く意味が分からない。

腑抜けた声を上げるのが精一杯だった。
   

「お、来やがったな」
 

ハンモックの上からひょっこり可愛らしい顔を覗かせて言ったリボーンに、綱吉は目を剥いた。
 

「なぁ・・・っ!?お前、来るの知ってたのかぐふっ!」
 

人外の速度で回転してハンモックから飛び降りたリボーンの可憐な踵が、綱吉の脳天にめり込んだ。 愛らしいベビーピンクの唇をひくひくと引き攣らせたリボーンが蹲った綱吉の前に仁王立つ。  

「だったら?」
 

赤ん坊とは思えないふてぶてしく高圧的な態度に文句のひとつでも言ってやりたかったが、
尋常じゃない殺気を放っている異質な存在に気が散ってしまって仕方がない。  

「ちゃおっす、骸。」
  とリボーンが今更ながらの挨拶をすると  
「こんばんは、アルコバレーノ。」
  と、殺気は消えたものの興味なさそうに骸は応えた。

綱吉ははっと我に返る。
殺気が消えた今なら、骸と人間らしい会話が出来るのではないかとささやかな期待を込めて顔を上げた。  

「あ、むくろ・・・っ!?」
 

呼びかけた瞬間、凍て付くオッドアイが殺気をみなぎらせ綱吉を見下ろした。
 

「ひぃぃぃぃぃぃぃ!!!!!!!!!」
 目を零れんばかりに見開いて悲鳴を上げると、リボーンのきらきらおめめにあからさまな殺気が宿った。  

「ぅるせぇなぁ・・・・」
 

「ちょ、何なんだよ・・・!!何で骸が・・・!!」
 

「骸が眠れねぇんだとよ。」
 

骸の言葉を繰り返しただけの何の説明にもなっていない答えがきた。
訊きたいのはそこではない。
 
「だ、だから何で眠れないと俺のところに・・・!」
 

「ああん?」
 

説明を求めただけなのにこの態度。


マフィアは嫌いだ消えてなくなれと公言した骸がなぜここに来たのか理由も不明のまま、綱吉は本気で涙目になった。
 

骸は二人のやり取りを完全に無視して上着を脱ぎ捨てると、当然のように綱吉のベットに腰を掛けた。  

「へ・・・!?骸がここに寝るのか!?じゃあ俺はどこで」
 

「てめーのベットはそこだろ!」
 リボーンが力強く指し示した方をばっと見遣ると、氷のようなオッドアイを半眼にした骸が凶悪な殺気を漂わせて綱吉を睨みつけていた。

「うおおおおおおおおおおお!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」

白目を剥きかけて叫び声を上げると、リボーンはベビーピンクの唇をわなわなと引き攣らせ、マシュマロのような真っ白でふかふかの肌にくっきりと三本、青筋を浮かべた。

「っちいちぅるせぇなぁ・・・てめーは・・・」

「だ、だ、だって・・・」

理不尽さを切に訴えようとしたが、尋常ではない二人分の殺気を体中に浴びたらもう黙るしかなかった。

「てめーがうるせぇから眠れそうもねー。俺は下の階でママンと寝る。」

愛用の枕を抱えた後ろ姿はいっそ締め上げたいほど愛らしい。

「待てよ・・・!」

待てと言われて待つ赤ん坊ではない。
扉は無情に閉じられた。

ぱたん、と扉が閉まる音を最後に部屋は静まり返った。
綱吉の顔からみるみる血の気が引いていく。
さっきから背中に、肉を抉るような視線が刺さっている。
振り向きたくない振り向けない。

「あ・・・そーだ・・・俺も今日は下で寝ようかなー・・・」

独り言のように呟いて立ち上がろうとしたが、足に力が全く入らない。
這うようにして移動して、目の前の扉の先に天国を見た。が、人生はそんなに甘くない。

「ぎゃっ」

勢い良く開いた扉に顔面を弾かれて仰け反ると、肉球のように柔らかい足の裏が綱吉の額にめりこんだ。
リボーンは仰向けに倒れ込んだ綱吉の額の上に立ったまま、小粋に片手を上げた。

「ちゃおっす、骸。」

「こんばんは、アルコバレーノ。」

「デジャヴ・・・!!!」

綱吉がのろのろと体を起こすと、もう扉は閉まっていた。

「何なんだよアイ・・・ツ・・・・っ!」

深く深く突き刺さる視線に綱吉はぎしりと固まった。

「いやいやいや、違うんだよ違うんだよ、お前が嫌とかじゃなくて眠れないなら俺がいない方がいいかなって思っただけで
ホラ他人がいると眠れなかったりするじゃん俺歯ぎしりとか寝言とか凄いらしいし寝ぞうも悪いし頭も悪いしあ、これ関係ないけど
眠れない時ってせっかく寝ても小さい音で目が覚めたりさ」

饒舌になり過ぎて、お前神経質そうだしとうっかり言いそうになって慌てて口を噤んだら、思い切り舌を噛んだ。

口を押さえて悶絶していると、骸は無言で布団の中に滑り込んだ。

了承の行動なのかと胸を撫で下ろしたのも束の間、骸は壁際に体を寄せると上掛けを捲った。

半眼のオッドアイは身を切らんばかりの殺気を湛えて綱吉を凝視している。

(おおおおおおお!!!!!!!)

失神しそうになったのを何とか踏み止まって蹲った。
蹲っていてもじりじりと身を灼く視線は、動かなければ永遠に突き刺さっているのだと綱吉は確信せざるを得なかった。

こうなったら腹を括るしかない。
命の危険なら何度も乗り越えてきた。
綱吉は自分を奮い立たせて這うようにベットに近付いていった。

視界の端に骸様が映り込んでいる。
見ている見ていらっしゃる。
緊張し過ぎて吐きそうになった。

うう、と小さく呻き声を上げて、崖から飛び降りる気持でベットに乗り上げた。

(うおおおおおおお!!!!!!!!!!近えええええええええ!!!!!!)

骸は華奢だが背が高い。
ただでさえ狭いベットに窮屈そうに足を曲げて収まっている。
必然的に体がくの字になって、骸が半分以上ベットを占拠している。
しかもご丁寧に綱吉の方を向いているので足と顔が予想よりも近かった。

下から突き刺さる視線を懸命に意識から追い出して、慎重に布団の中に足を滑らせたが、当たってしまった。

足と、足が。

(あしいいいいいいいいい!!!!!!!!)

強い眩暈で図らずも一気に体が倒れてしまった。

(顔、ちか・・・・い・・・)

もう意識も絶え絶えである。

「・・・・・。」

(・・・・アレ?)

てっきり動作が煩いだの足がぶつかっただの文句を言われると思ったが、骸はすでに短い呼吸を繰り返していた。

(寝て、る・・・?)

余りにも浅い呼吸なので、猫か何かに思える。
恐る恐る目だけで骸を見遣ると、やはり眠っているようだった。

(な・・・ホントに眠れないのかよ・・・)

思った所で怖くて言えやしないが。
口元が布団で隠れているので短い呼吸は苦しいのかと思い、布団を少しずらしてやろうかとも思ったが
ずらした途端にカッと目が開いたら、それこそホラーである。
トラウマになりかねないので断念した。

断念したのには他にも理由がある。
体が動かない。
緊張から関節という関節に力が入ってしまって自分の意志では動きそうもない。

ばくばくと心臓が高鳴って、その振動で骸が起きやしないかと気が気ではない。
いっそ心臓を止めてしまいたい衝動にも駆られる。

冷汗がだらだら出ていて、布団を湿らせていくから不快指数は確実に上がっている。

骸の呼吸を感じる度に緊張し過ぎて吐きそうになった。

(うう・・・何だこれ・・・)

至福の睡眠時間は一転、強い緊張を強いられた。

恨み事すら浮かんでこない。
綱吉はひたすら耐えた。

頭の芯は冴えている。



こんな状況で眠れる訳がない。



08.12.12                                                                    二日目