山積みのダンボールの中に座って、綱吉は一息吐いた。

差し込む陽の光はもうすっかり橙色で、眩しさにそっと目を細めて窓を開けた。
すぐ目の前に運河が通っていて、日を遮るものがないから見晴らしもそこそこいい。

前のアパートで怖い目に遭ったから、
慌てて捜したにしてはいい物件だと満足そうに一人頷く。

(ああ・・・ちょっと疲れたなぁ・・・)

大学の課題も残っていたし、片付けなんて全然終わってないけれど
少しだけ、と綱吉は畳の上に寝そべった。

前のアパートは八畳一間でフローリングだけだったけど
今回の部屋はフローリングと和室まで付いている。

満足満足、と綱吉は嬉しそうに畳を撫でて目を閉じた。

夢の世界に落ちるまで、そう時間は掛からなかった。



ガチャガチャ、と乱暴な音で目が覚めた。
部屋の中はもう真っ暗だった。

(・・・隣かな・・・)

寝惚けた目を擦って電気を付ける。

ガチャン、と大きな音がしたので思わず体を跳ね上げた。

(と、となり・・・・!?)

だとしたら随分音が漏れる。

バタバタとカーテンが強く靡いた。

(え・・・?)

玄関の方から廊下の電気の光が差し込んだ。

(え・・・!?)

バタン、とドアが閉まる音は間違いなくここの部屋のもので

(ええ・・・!?)

当たり前のように向って来る足音も間違いなくここの部屋のもので
綱吉は突然の事に固まって、ただただ怯えたように近付いて来る足音を聞いていた。

「おや?」

目の前に現れたやたらと背の高い痩身の男は、綱吉の友達でも知り合いでもなんでもなくて
きっちりとスーツを着込んだその男は、綱吉を怪訝な顔で見下ろした。

「何ですか君。」

綱吉は大きな目を零れんばかりに見開いて、
ただただ呆然と口を開けたまま動けなかった。




更に増えたダンボールの森の中で、見知らぬ男とテーブルを挟んで向かい合っている。

綱吉は六道骸と名乗った男のあからさまな不機嫌さに気圧されて
正座をして縮こまっている。

「それで、君もこの部屋を借りていると。」

「う・・・はい。そうです・・・、」

はぁ、と苛立ちを微塵も隠さない溜息に、綱吉はびくんと体を引き攣らせる。

「あ・・・俺、敷礼払った、んですけど・・・」

「僕も払いましたよ。」

きっぱりと言って退けられて、綱吉は再びびくりと体を引き攣らせた。

造作の整った顔だから、苛立つ顔が余計に恐ろしく見える。

「二重契約、ですかね。」

綱吉は自分の運命を呪いたくなった。
引越しには運がない星の下に生まれてしまったのだろうか。
前回のアパート然り、今回はどういう訳か他人と部屋が被ってしまった。


本当に泣きたい。


「・・・と、とりあえず不動産屋さんに電話する・・・な・・・!」

携帯を取り出すと、すぐさま取り上げられて、ばんっとテーブルの上に置かれた。
引越したばかりで携帯も駄目にしてしまうなんて金銭的に洒落にならない。

「ちょ・・・!壊れる・・・っ」

抗議のひとつくらいしたって罰は当たらないと思ったけれど、
綱吉は開きかけた口を更にだらしなく開き、顔色を失くした。

(怖ぇぇ・・・!!)

真正面から不機嫌全開で睨み付けられてしまったらもう言葉も出ないほど恐ろしかった。

「僕が電話します。」

「え・・・!?」

「君だと丸め込まれそうなので。」

「う、ぐ・・・っ」

否定は出来ない。

けれどそんな言い方しなくたっていいじゃないか。

こんなに泣きたい気持ちになったのって、どれくらい振りだろうなんて
ぼんやりと思って泣きそうになっている綱吉を置いて骸は携帯の通話ボタンを押した。


携帯から漏れる呼び出し音が静かな部屋に響いた。

ワンコール、ワンコールと増えていく度に、綱吉の顔はみるみる青褪めていった。


(マジ怖ぇぇ・・・!!)

苛立ちも露に長い指でトン、トン、と机を弾く音がだんだんと感覚が狭まっていって、
終いには指の力だけで机を真っ二つにしてしまうんじゃないかと余計な心配までするほど怖かった。

「出ませんね。」


ち、と小さな舌打ちが形のよい唇から聞こえてきて、綱吉の目に涙が滲んだ。

「・・・そのようですね・・・」

逃げ出したくなったが、逃げ出した所で行く場所もない。
ちら、と時計を見るといつの間にか十時近かった。
この時間ならもう不動産屋は閉店しているのだろう。

突然骸がばん、と立ち上がったので、綱吉は反射的に頭を庇うように丸まった。

「・・・何してるんですか。」

「いや、あの、地震・・・?」

「・・・先にシャワー浴びて来ますね。」

「ご、ご自由にどうぞ・・・」

骸がダンボールを縫うように歩いて行ったのを感じてどっと力が抜けた。

(もう何だよこれ〜・・・)



「起きなさい。」

「ふえ・・・!?」

蹴られて転がった綱吉はダンボールに頭をぶつけて目が覚めた。

(お、俺寝てた・・・?)

あのまま寝てしまった自分の図太さに落胆しながら体を起こすと、
骸が長い髪を濡らしたまま高圧的に見下ろしていた。

(っていうか今蹴った・・・!?蹴ったよね今・・・!)

呆然と顔色を失くして骸を見上げると、骸は鼻を鳴らした。

(うう・・・怖ぇ・・・)

怖い怖いと思ってもどうしようもなくて、
結局は運び込まれた荷物の少ない和室で布団を並べて寝る事になってしまった。

綱吉に背中を向けている骸を気にしながら、綱吉はそろそろと布団に入った。

どうしてこんな怖いお兄さんと一緒に寝なくちゃならないのか。
綱吉はまた泣きそうになった。

(でも今日だけだからな・・・今日我慢すればいいんだもんな。)

うんうんと頷いて馴染みのある布団に包まれば、前向きな気持にもなれる。

大学の授業は朝起きるのが辛いので一限目を避けて取っている。
だから働いているのであろう骸はきっと朝早いだろうから、顔を合わさずに済む。
だから今日だけ、と考えてから、はたと動きを止めた。

(・・・ん?いや、待てよ・・・)

二重契約、という事は・・・

「あ、あのさ〜・・・」

「・・・何ですか?」

まだ寝ていなかった骸はじろ、と綱吉を振り返るものだから、
めげそうになったが、これをはっきりさせないと気になって眠れない。
いや、でもきっと寝てしまうのだろうけど。

「二重契約って事は、どっちか出て行かなきゃいけな」

「僕は出ませんよ。」

「なぁ・・・っ!」

語尾に被せてはっきりと分かり易く言われて綱吉は目を剥いた。

「まぁ君が?新しい住まいを見付けるまで?置いてやらない事もないですけど?」

「おお・・・っ!?」

は、と鼻で笑ってこの上なく不遜な態度で言い捨てる骸に、更に目を剥いた。

(何この人・・・っ)

見たところ恐らく綱吉より五コも六コも年上のようなのに、
黙って立っていればそれはもう紳士っぽく見えるのに、何だこの子供っぽさは。
怖いし。

綱吉だって別に不動産屋に支払ったものが返ってくるなら譲ってもいいと思っていたのに
こんな言い方をされたら意地になってしまう。

もうすぐ二十歳を迎える綱吉だって、中身はまだ子供なのだから。

「お、俺だって出て行かないからな・・・!」

不機嫌を滲ませた骸が綱吉を見据えたままゆったりと寝返りをうったので
綱吉はびくんと体を引き攣らせてカーテンに包まるように身を隠した。

「で、出て行かないからな・・・!」

カーテンから顔だけ出して目一杯の虚勢を張ったが、鼻で笑われて心が折れそうになる。

(このやろ・・・)

ぐぐぐ、と唇を噛んで屈辱に耐える綱吉を放って、骸は綱吉に背を向けた。

「明日会社の帰りに僕が不動産屋に行くので、君は大人しく待ってなさい。」

(あ、あれ・・・?)

一転して静かな声を出した骸に、拍子抜けしてしまった。

「同業者として許せませんしね、こんなミステイク。」

「と、土地転がし・・・?」

「・・・はぁ?」

凶悪な目付きで振り向いた骸にすみませんでしたと頭を下げた。

だってまともな商売をしているように見えないんだもの。

でも今のは失礼だったと、骸の背中にもう一度頭を下げた。

「何してるんですか。」

「うぐ・・・っ見てたのか・・・っ」

深々と頭を下げたのを見られてしまって綱吉は誤魔化すように布団に戻った。

「・・・それにしても家具って少ないんだな・・・」

骸がこの部屋に入れたのは、大きなテレビと冷蔵庫くらいだった。
その替わり綱吉の古いテレビと冷蔵庫がゴミのようにベランダに放り出された訳なのだが。

「ああ、ベットとソファは捨てました。」

「ええ・・・!?」

「この状態では入らないでしょう?」

「う・・・そうだけど・・・」

二人分の荷物は案外かさばっているから、とてもじゃないがベットもソファも入らない。
ダンボールがリビングの大半を占めている。

「あ・・・ごめん。」

何にも知らないで、と素直に申し訳なく思ったので呟くように謝った。

「構いませんよ。買い替えようかと思ってましたから。」


綱吉は大きな目をぱちぱちと瞬いた。

思っているより、悪い人じゃないのかもしれない。


「君のゴミのような荷物を捨ててもよかったのですが。」

「・・・っ」



思っているより悪い人じゃないのかもしれない。
けれど如何せん、一言多い。




目が覚めると九時だった。

綱吉にしては早起きだったが、当然骸はもういなかった。
ダンボールの山に、昨日の事は夢じゃなかったのだと深く溜息を落とす。

(どうなっちゃうんだろ・・・)

骸に任せておけば安心なのだが、ここを摘み出されるんじゃないかと思うと安心出来ない。

とりあえずお腹が空いたので朝ご飯にしようとしてはっとする。
そういえば食料は全く買っていない。

面倒だが外に買いに行くしかないが、本当に面倒だ。

ああ・・・と爽やかな朝の日差しの中を薄暗い気持ちで歩いて
ダンボールの間を擦り抜けてから綱吉はぱちぱちと瞬きをした。

テーブルの上に朝食らしきものが乗っていた。
サラダとパンとジュースと。

もしかしてわざわざ骸が買って来てくれたのだろうか。

でも勝手に食べて怒られるのは本気で嫌なので躊躇っていると
メモ用紙が挟まっているのに気が付いた。


”朝食にどうぞ”


やっぱり綱吉のために買って来てくれたようだ。


綱吉はメモと朝食を交互に見てから、戸惑って眉尻を下げた。


やっぱりいい人なのかもしれない。

あんなに怖がったりして申し訳ない気持ちになった。


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