ただ、本当にふと。


糸を引かれるように顔を上げて視界に入った隣のビルの窓の近くを、人が歩いていた。


しなやかな体に長く艶やかな髪を揺らし、廊下を曲がって行った。


顔は見えない、その時はただ、背の高そうな人だな、と何となく思った。



綱吉は午後に掛かる時間の眠たい目を擦って顔を上げた。

パソコンを打ち始めると集中してしまって周りが見えなくなるから、顔をあげた時には大抵目が乾いていて眠気を感じる。

首を回して疲れた目を休めようと眼鏡を外す。
普段はコンタクトだから、慣れないのもあって目が疲れる。
小さなあくびを噛み殺した後、また目を擦って眼鏡を掛けた。


その時、またふと、隣のビルに目が行った。


廊下に鉢植えの花が並んでいる。


赤い、花。


(あんな所に花あったっけ・・・)


気付けば意識して隣のビルを見た事なんてなかったから、当然そこに何があったかなんて覚えていなかった。


そしてその赤い花に、水をあげている人がいた。


艶やかな長い髪が柔らかく肩に掛かって、長い指先が柔らかく花を分ける。


真っ赤な花びらの中に、白い指が入り込み、鮮やかに色付かせる。


白く細い水差しから透明な水が緩やかに零れていく。


長い睫毛が白い頬に薄い影を落とし、きらきらと水に弾かれた光が、
その長い睫毛の陰から鮮やかな瞳の色を覗かせた。


(赤、と青・・・)


伏せられた瞳の色、白い頬が際立つ。


小さな通りを挟んでいるだけだから、この距離からもその顔の造作が華やかなのが分かった。
薄い記憶の隙間から、そういえばこの間も見掛けたな、と何となく思う。


「沢田さん?」

不意に呼ばれてふと我に返った。

横を見れば同期の獄寺が、心配そうに見詰めてきていた。

心配し過ぎるのはいつもの事だから、綱吉は申し訳なさそうに苦笑する。

「眠くてぼうっとしちゃったよ。」

一転して獄寺は笑った。

「この時間は眠いっすよね〜」

「ね、そういえばさ、隣のビルって何の会社入ってるんだっけ?」

今の今まで意識して見た事がなかったから、当然何の会社が入ってるかなんて知らない。
獄寺は少し考え込むように視線を上げた。

「・・・確かデザイン会社が入ってるって聞きました。」

「デザイン?」

「ええ。どっかのブランドのジュエリー、とか。」

「ジュエリー・・・って、指輪とか、ネックレスとか?」

「はい。俺もよく分んないんすけど、有名なブランドらしいです。」

「そうなんだぁ・・・」



はっと視線を戻すと「彼」はもういなくて、変わりに赤い花が一輪、ぽとりと窓の外に落ちていった。


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09.08.22