次に「彼」を見掛けたのは、通勤途中、会社のすぐ前でだった。


大きな交差点を青信号で足を一歩踏み出して
流されるように対岸へと向かい、その途中でふと顔上げた。

「彼」は隣の横断歩道を綱吉とは反対方向に足早に歩いて行った。


スリーピースのスーツのジャケットは手に持って、人を擦り抜けて長い髪を風に舞わせるように歩いて行く。


綱吉は思わず薄く口を開いてしまった。


映画のワンシーンのようだ、何て言ったら大袈裟だろうか。


けれど現に今「彼」の横を過ぎて行った女性二人がそわそわと振り返って何か話している。

クラクションの音ではっと我に返れば、もう信号は赤に変わっていた。

綱吉は慌てて走って歩道へ辿り着いた。


ふとして振り返ると「彼」は真っ直ぐ駅へ向かって歩いていた。


思った通り、とても背が高かった。


背が高くて細い腰はしなやかで、長い手足は流れるように優雅だった。


綱吉はじっと自分の手を見て溜息を吐いた。


同じ人間とは思えない。


羨ましいとも思わないほど「彼」は整っていた。


(デザイナーさん、なのかな・・・)

華やかな「彼」には、とても似合いの職業だと思った。




綱吉の会社の辺り一帯はオフィス街なので、この時間になれば人もほとんどいないから閑散としている。


会社の前に差し掛かって、ふと振り返ると「彼」が会社の前で誰かと話していた。

綱吉は思わず「あ」と小さく口を動かす。

相手もスーツを着ているから同じ会社か或いは取引先の人なのかもしれない。

見上げれば「彼」の会社はすべてのフロアの明かりが点いている。

(こんな時間まで、仕事なんだ・・・)

綱吉の会社のビルはひっそりとしたものだった。

そういえばこの間の朝も綱吉が出勤する頃にはもう、どこかへ出掛けるようだった。

「・・・。」


デザイナーがどんな仕事をするのか綱吉には全く想像も出来なかったけどでも、
華やかさの裏側で、想像も出来ないほどの努力もしているのだろう。



「彼」が手がける宝石たちは、いったいどんな姿をしているのだろう。



ふと視線を下げると、会社の前にいた「彼」がゆったりと長い睫毛を伏せた。


(・・・見て、た?)

目を見張った綱吉のすぐ後ろで豪快な笑い声が響いてきた。

「沢田さん!コイツマジぶっ飛ばしていいっすか!うるせぇんだよ・・・!」

「何だと!?」


今日は先輩の笹川に誘われて獄寺と三人で会社の近くで飲んでいた。
仲が良過ぎて悪いのか、笹川と獄寺はいつも言い合いをしている。

今も額がくっつきそうな位置で睨み合っている。

「ちょ、ちょっと二人とも・・・!」

これだけ煩ければ視線を向けたりもするな、と綱吉は苦笑した。

「よし、沢田。もう一軒行くぞ。」

がっちりと肩を組まれる。

「へ?」

「俺、沢田さんが行かないなら行かないっす。」

「な、」

がっちりと両脇を固められ、ほとんど連行されるように引き摺られて行く。



まぁいつもの事だしと覚悟をして、はっとして振り返ると、「彼」はもうそこにはいなかった。





最終電車に足を踏み入れて、疲れた体を座席に深く沈めた。

久し振りに飲んだのと疲れが重なったのもあって、不意にうとうとしだした。


心地よい倦怠感に身を任せて引っ張られるように眠りの世界に落ちていく。


どれくらい時間が経ったか、ふと目を薄く開くと目の前に「彼」が座っていた。


赤と青の煌びやかな瞳が、瞬きもせずに綱吉をじ、と見ている。


あ、見られてる、と思ったが、どうしても眠気に勝てずにふわふわと睫毛を瞬かせた。

酷い顔してるんだろうな、とも思うし、緩めたネクタイもだらしないだろうな、とも思ったが、
瞼は瞬きを繰り返す内に、次第に開かなくなっていく。


瞼が完全に落ちる手前で、「彼」の赤い唇がふわと笑った。


笑った、とどこかで思って眠りに落ちた。



肩を強く揺すられて目が覚めた。

「終点ですよ。」

目の前には無愛想な車掌の顔があった。

背凭れに完全に預けていた体を起こす。

「・・・。」


目の前の席に「彼」はいない。


(何だ・・・夢か、)

寝ぼけた目をごしごし擦ると、車掌に睨まれて慌てて電車から降りた。

降りたのと同時に背中でプシュと音を立てたドアが閉まって、ぱらぱらと車内の明かりが消えていった。

どうやら綱吉が最後の乗客だったようで、車掌が機嫌を悪くする筈だなとどこかで納得する。

薄暗くなったホームを歩いて行く。

折り返しの電車もなくなっているから、選択肢は徒歩かタクシー。
家まで歩けない距離ではないが、眠気と一緒に歩く自信はない。

駅前に止まっていたタクシーに乗り込んだ。


背凭れに体を預けても不思議と眠気はやって来なかった。



「彼」はとても鮮やかだから、夢に出て来てしまうくらい記憶に溶け込んでいるのかもしれない。



窓の外を流れていく景色に目を向けて、「彼」はまだ仕事をしているのだろうか、と何となく思った。



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09.08.29