駅のホームの人混みに紛れて、綱吉は小さく息を吐いた。

時計を見やると19時過ぎ。

恐らく帰宅ラッシュの二波なのだろう。

綱吉が帰宅するのはいつももう少し後か、もっと前だから
この時間の混み方を忘れていた。

滑り込んで来た電車も大層混んでいた。

(いつもラッキーだったんだな・・・)

自分はついてない方だと思っていたが、そうでもなかったようだ。

ぼんやり思いながら押されるままに車両に乗り込んだ。

朝よりはマシだが、帰りまでこんなに詰め込まれて帰りたくない。
揺られるたびに重圧でよろける。

(やっぱりもうちょっと残業してから帰ればよかった、)

そんな事を思いながらも、夕飯どうしようかななんて考えていて
ふと視線を上げた。

(あ、)

見間違えかと思った。


けれど、ひとつ隣の扉の前で吊革を握っているのは「彼」だった。


濃い色のサングラスを掛けているが周りの人間よりも頭ひとつ分は優に高く、
深い藍を含む艶のある長い髪も、吊革を掴むその白い手も間違いなく「彼」だった。


(電車・・・使うんだ・・・)

勝手に車での送迎を決め付けていたから、電車に乗っている事自体意外で驚いた。

もしかしたらたまたまかもしれないが、少しだけ、親近感を覚える。

周りの人たちは仕事帰りの疲れか、この混雑のせいからか、
「彼」を気にしている人は、綱吉からは見えなった。

かえって混雑している電車の方が目立たなくていいのかもしれない。

ちら、ちらと「彼」に視線を向けてしまうものの、手前の人がこちらを向いてしまい
綱吉は気まずくてなって俯いた。

扉が開いて押し流されるようにしてホームに降り立つと、そこはもう綱吉の降りる駅だった。


ふと視線を上げると、ひとつ前の扉から
「彼」が階段に向って歩いて行くのが見えた。


(え!?ここに住んでるのかな・・・)

駅を間違えたかと思って確認するが、確かに綱吉が利用している駅だった。


人波に紛れて「彼」の姿が見えなくなる。
少しだけ残念な気持ちになって不思議に思った。


(こんな何もない所に住んでるのかな・・・あ、でも会社から近いしな。)

綱吉がここを選んだのも、通勤が楽だからだ。
「彼」の会社は隣。
もしかしたら同じ理由かもしれない。

(・・・でも住んでるとも限らないよな。何か用事があるのかも)

改札を通り抜けながらふと我に返る。

なぜこんなに「彼」の事を考えているのだろう。

誤魔化すように足早に歩いて行って、人の波を擦り抜けて行く。

夕飯は何にしようか考えてはいたが、「彼」を見掛けた事によって思った以上に
思考が纏まらなくなったため、結局いつも通り帰り道のコンビニで買う事にした。

さして迷う事もなく会計を済ませて硝子の自動ドアの前に立ち、
ゆったりと風を含ませて扉が開いた時にふと視線を上げて


綱吉は目を見開いた。


目の前でふわりと革のトレンチコートが翻る。


皮靴がアスファルトに小さく音を立てる。


緩やかに伏せられた長い睫毛の下で、赤い瞳が色彩を放った。


目の前を通り過ぎるまでの長い一瞬、綱吉は動きを完全に止めていた。


長い髪が揺れ、少しだけ苦い、香水の香りがした。


行き過ぎた「彼」の背を思わず目で追ってから我に返った。


(・・・やっぱり、この辺に、住んでるのかな・・・)

住宅街のこの街は、それでも駅前にはそれなりに店が軒を連ねている。

「彼」もどこかに立ち寄っていたのかもしれない。

(な、何か後尾けてるみたいで嫌だな・・・)

「彼」は少し前を歩いている。

とは言え、綱吉のアパートもこちらの方面だから仕方がない。
ここで道を変えるのは自意識過剰というものだろう。
だって「彼」は自分を知らないのだから。

どこまで行くのか気にならないと言ったら全くの嘘だが、
かと言って後を着いて行くのは確実におかしいし、そんな勇気もない。

(・・・何か変だな、俺・・・)

思考を追い払うように頭を振って視線を上げると、「彼」が角を曲がった。

(あれ・・・!)

そこは綱吉も曲がる所だ。

(あれ・・・、この辺に住んでるのかな・・・)

曲がってすぐに綱吉のアパートが見えて、「彼」はそこを通り過ぎて
そして通りを挟んだ隣のマンションへと入って行った。


綱吉は思わず足を止めて「彼」を見詰めた。


硝子張りの広いエントランスを通り抜け、
セキュリティーに鍵を翳して中へと入って行った。


(え、え・・・!嘘・・・!?あそこに住んでるのか・・・!?)

間接照明に照らされて高々とそびえるマンションを見上げた。

首が少し痛くなって、綱吉はようやく顔を下ろし自分のアパートへ入って行った。

(あのマンション、高いんだよなぁ・・・確か、)

隣のマンションはつい数年前に建ったばかりの新築で
綱吉の所にも広告が連日に渡って入っていたのだ。

その値段の高さに口が半開きになったのを覚えている。

綱吉もそろそろアパート暮しを止めて、小さくてもとりあえずマンションを買ってみようかと思っていた所だが、
隣のマンションは逆立ちしたって買えない。

それでも「彼」になら買えてしまうのだろう。

綱吉は部屋の明かりを点けて、窓の外に広がるマンションを見詰めた。


あのどこかに「彼」が住んでいる。


そう思うとどきりと胸が高鳴って慌ててカーテンを閉めた。

(憧れる、よなぁ・・・)

歳は恐らく綱吉より上だろうけど、まだ二十代に見える。
いっていても三十かそこらだろう。


それなのに「自分」を確立しているように思う。

才能にも溢れているし、それに、とても、綺麗。



綱吉は溜息を吐いた。



その溜息が何を意味するのか、自分では分からなかったけれど。


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09.09.12