目が探してしまうのは、やはりどこかおかしいんじゃないかと思う。

憧れるには十分過ぎる存在だけれど、
だからと言って。

(あ、)

向かいのビルの廊下を「彼」が歩いて行った。

(いた・・・)

向こうから見えるかは分からないけれど、綱吉はこそこそとパソコンの陰に体を屈める。

この間の休みの日は、急に駆け出したりして変な奴と思われたかもしれない。

(・・・でも、覚えてない、かな)

無意識に溜息を落とすと、獄寺が心配そうに声を掛けてきた。

「具合悪いんすか?」

「え!?あ、ううん!全然。」

「そうっすか。ならいいんすけど。」

はっとして顔を上げると、「彼」は廊下を曲がって行った。


珍しく外出を頼まれて、綱吉は一人駅まで向かった。

面倒ではあるけど、気分転換にはいい。

昼を過ぎたばかりの地下鉄のホームは人は疎らだった。

何となく癖で、いつも乗車する辺りで立ち止まってふと顔を上げた。

(わ!)

綱吉は一人で慌てた。



ホームドアの硝子に反射して映っていたのは「彼」で、すぐそこのベンチに長い足を組んで座っていた。

ちら、と直接見ると「彼」は手元の手帳に視線を落としていて
肩から落ちる長い髪の隙間から、白い項が覗いていた。


綱吉ははっと息を詰めてから、慌てて視線を逸らす。


(忙しそう・・・)

それはそうだろう。
きっと時間も関係なく働いているに違いない。

ホームドアの硝子に映った「彼」をちら、と見てまた目を伏せた。

覚えているだろうか。
でも自分は地味だという自覚がある。
それならこのままここにいても大丈夫だろうか。

意思とは反して綱吉の足はじりじりと「彼」から遠ざかる。

やはり覚えられていてもいなくても、近くにいるのは何だか気恥ずかしい。


視界の端で、「彼」の白い手が持ち上がった。


緩やかにそちらに視界を向けて、綱吉は動きを止めた。


白く長い指。


その繊細な指先が、ゆる、と白い項に爪を立てた。


爪が通った後に、静かに、ゆっくりと、淡いピンクの筋が浮き上がっていく。


仄かな色味なのに、やけに鮮やかに視界を刺し、綱吉は目を見張って息を飲んだ。


そして、綱吉ははっとして固まる。


左の手、項を掻いたその指の隣。


左手の薬指に、華奢な指輪が光っていた。


胸の中に、冷たいものが広がる。


足が、悴んだ。


アナウンスも聞こえずに、強い風と共に電車がホームに入ってくる。


「彼」が髪を風に遊ばせながらゆっくりと立ち上がる。


けれど、綱吉は動けなかった。


短い金属音を響かせ、「彼」を乗せた電車が走り出す。


綱吉はホームに残ったまま、ただ「彼」がいなくなったベンチを見ていた。




その後の事はあまり覚えていない。


すべて上の空で、自分でもはっきりと分かるほど気持ちが沈んでいた。

理由は、ただひとつ。
重たい気持ちを引き摺るようにして家に帰って、スーツも脱がずにベットの中に潜り込んだ。

窓の外にそっと背を向ける。


「彼」は素敵な人だから、結婚していたっておかしくない。
女の人が放っておかないだろう。
結婚していなくてもあの指に指輪をしているというのなら、心に決めた人がいるのだろう。


獄寺の言うように、どこか人形めいた「彼」が人と同じように誰かを愛し、
愛でるという当たり前の事を忘れていたのかもしれない。


綱吉はぎゅっと目を閉じた。


「彼」に愛される人はどんな人なのだろう。
「彼」に愛されるのは、どんな気持ちなのだろう。


あの唇は、さぞかし甘い味がするのだろう。


例えばあの繊細な指先が人を愛でる時、「彼」はどんな顔をするのだろうか。

きっと長い睫毛の下で宝石のような双眸が柔らかく細められて、甘い唇は優しく微笑むのだと思う。


羨ましい。


「彼」の瞳に映る人が羨ましい。


あの白い手に愛でられる人が羨ましい。


今自分の体に這う手が、「彼」のものならいいのに。


薄い脇腹にそっと手を滑らせた。


(あ、嘘・・・)

緩やかに下腹部に落ちてきた熱に、羞恥からかぁ、と顔を熱くした。

(さいあく・・・、)

憧れと呼ぶにはあまりにも乱暴なこの感情を、人は「恋」と呼ぶのかもしれない。

(恋って・・・)

綱吉は呆れた笑みを唇に乗せて、けれどその笑みはすぐに消えた。


「彼」は綺麗で才能に溢れていて、
なのに自分は平凡で何の取り柄もなくて、


そして何より「彼」も自分も、男。


(馬鹿みたい・・・)



じわと滲んだ瞳を誤魔化すように綱吉は、枕に顔を埋めた。


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09.09.27