開け放った障子から、温い風が吹きこんできて
窓辺に寄り掛かるようにして座る骸の胸に、彼は寄り添っていた。

「国の両親がね、借金をしていて、それで俺が出稼ぎに来てるんだ。」

「まさか売られて来たのですか?」

「・・・俺の意思でもあるんだ。まっとうな仕事じゃ自分が食べるのに精一杯になっちゃって
とてもじゃないけど仕送り出来ないからさ。だから、俺は頑張らなくちゃいけないんだよ。」

言ってからあ、とまだ濡れた唇を小さく開いた。

「ごめんね。頑張る、だなんて失礼だよな。」

「いいえ?君が頑張ってくれたお陰で僕はとても悦かったですよ。」

花街に働く者にしては珍しいくらいかあ、と頬を染めて
照れから少し怒ったような口調で「本当にいやらしい旦那だね。」と言って
逃げるようにぽすん、と顔を骸の胸に押し付けた。

骸はくす、と笑ってその柔らかい髪を撫でた。

骸の手に、まだ水に潤む瞳を緩やかに瞬かせてから、飴色は静かに呟いた。

「たまにね、この浅ましい体が、どうしようもなく悲しくなるんだ。」

骸はそっと華奢な体を撫ぜた。

「快楽を厭う人間がいるのなら、是非会ってみたいものです。」

「・・・え?」

「快楽は何も、こうした行為だけではないと思います。賭博が快楽になったり
食べる事が快楽だったり、それはもう人それぞれではないでしょうか。
それがなくては生きている楽しみも何も、ないのかもしれない。
口には出さないが、こうした行為を厭う人間もそうそういないでしょう。
だから花街があって、だから君の体は浅ましくもなんともない。普通、ですよ。」

慈しむようにその体を優しく撫ぜて、飴色は柔らかくその頬を染めた。

「それにこれも、快楽になり得る。」

「あ・・・それは」

床に放られた煙管を手繰り寄せると、長い指の間に挟んだ。

「ええ。吸っているふり、だけでしょう?」

「あ、分かってた?実はふかしてるだけなんだ。番頭さんが、持ってた方が様になるからって。」

「ええ。とても様になっていましたよ。」

本当?と嬉しそうに笑うので、骸も釣られるようにして笑った。

「それでもとても綺麗でした。」

「え・・・?」

「ここがどこだか分からなくなるほどに、君はとても綺麗です。」


胸に押し付けた睫毛が瞬いて、少しくすぐったかった。

「・・・旦那は変な人だね。俺の事綺麗だなんて言ったりさ。
それに花街は遊びに来るもんだろ?みんな生い立ちなんか尋ねてこないよ。
事情なんてみんな似たり寄ったりなんだから。」

「僕もそうですよ。花街は遊びに来る所だから、楽しければいいと思ってます。」

「え・・・?」

「ですが、君の事は気になります。」

真摯な声色に、少しばかり戸惑いを乗せた飴色の瞳は伏せられて
そっと骸の胸元に手を添えた。

人差し指が、柔らかく骸の胸を掻いた。

「俺が泣いてる事だって気持ちいいからって言えばみんな、喜ぶだけなのに・・・」

ずぐ、と胸の奥に重く黒い感情が沸き上がり、
せり上がる苛立たしさに骸は思わず眉根を寄せた。

「・・・僕の前で、他の男の話しをしないでください。」

はっと顔を上げて眉根を寄せた骸の表情を見て取って
申し訳なさそうに微笑むとまた顔を伏せた。

「ごめんね。素人でもあるまいし、心配りが出来てなかったね。・・・許して。」

「そういう、意味ではなくて」

「え?」

「君が他の男にも抱かれているのかと思うと、酷く腹立たしい。」

濡れた瞳を揺らして、それでも誤魔化すように変なの、と言って少し笑った。

「俺はここで働いてるんだよ。当たり前だろ?」

「それでも、です。」

「旦那・・・」

苦しげに言葉を区切った骸に、飴色の瞳が揺れる。

骸の長い指が顎を掬って、真上を向いた桃の唇にそっと唇を寄せると
大きな目元は赤く染まり、長い睫毛は伏せられたのだが、すぐにはっと体を起こすと
骸の腕からするりと抜けた。

「駄目だよ、旦那・・・止めて・・・」

「何故ですか?君も心を許してくれていると思うのは僕の思い過ごしですか?」

「あ・・・、」

逃げようとする体を捕えてきつく抱き締めて、再び唇を寄せると
逃げるように骸の胸に顔を伏せた。

「お願だよ、旦那・・・どうかお金で割り切って。これ以上俺の中に入って来ないで。」

その声も指先も微かに震えていて、骸は苦しげに眉根を寄せた。

「・・・何故?」

「縋るものなんて初めからない方がいい・・・後で辛くなるだけだろうから・・・」

言って逃げ出そうとした華奢な腕を掴むと、振り向きもせずに俯いた。

その白い頬が橙に照らされる。

「俺は花街の人間なんだから、どうしたって旦那と釣り合いっこないんだ・・・」

骸に向けてというよりは、自分に言い聞かせているようだった。

目を見開いた骸は抱き締めたくて腕を引こうとするが、
細い腕は骸の手をするりと抜けた。

「ほら、旦那!時間だよ。俺はもう行くからね。」

振り向きもせずに場違いに明るい声を出すと
畳に放り出していた帯を手馴れた様子で巻きつけていく。

「君の名前は?」

「千代菊。みんな菊って呼ぶよ。」

「・・・それは源氏名でしょう?」

「花街ではそれがすべてだよ。」

「それなら外で会えませんか?」

「遊びたいならここへ来て遊んで行って。生憎、花魁道中って訳にはいかないからさ。」

「そういう意味ではなくて、」

「今日はありがとうね、旦那。」

とうとう一度も振り向きもせずに、部屋の襖へと駆けて行く。

部屋を出る間際、嬉しかったよ、ととても小さな声で呟いてそのまま出て行ってしまった。


開け放たれた襖を見据えて骸は、
恋、としか呼べない感情を持て余し途方に暮れていた。


けれどここで待っていたって彼は戻って来ないから、
骸は覚束ない心のまま廊下へと足を踏み出した。

骸は恋をした事がなかった。
だからどうしたらいいのか分からない。

あまりにもはっきりと拒絶されているけれど、
水に揺れる瞳を忘れる事は出来ない。

遊郭の中に響く笑い声も甘い声も楽の音も、すべてが遠くに聞こえる。

このままここに通い詰めて、彼が心を開いてくれるのを待つべきなのだろうか。
でも馴染みの客の一人になり兼ねないし、体だけ貰えて心を貰えないなんて苦し過ぎる。

そして何より、そんな事をしている間にも彼は他の男に抱かれる。

考えてぞわ、とした。

考え込んでいつの間にか玄関口にまで来てしまっていた。
漆黒の暖簾の外から今日は千代菊はいるかと中年の声が聞こえて来た。

駄目だ。
そんなの耐えられない。

これは早急にどうにかしなければならない。

骸は玄関近くに立っていた品のいい中年男性に声を掛けた。

「番頭。」

如何せん気が逸っていたのですっかり番頭と思い込んでいたのだが
声は骸の背後から返ってきた。

「おう、番頭はそいつじゃねぇよ。」

若い男の声に振り返って、骸は思わず目を見張って眉根を寄せた。

そこにいた若い男は派手な着物を着崩して、品のない笑みを浮かべた口元に煙管を銜えていた。
眼光鋭く、肌蹴た胸元には龍の刺青が踊っている。

「番頭は俺だ。そこの腐りかけたじじぃじゃねぇよ。
あ?おめぇ客なの?悪ぃ悪ぃ、口が滑った。腐りかけてるのは事実だろ?
ああ?悪ぃっつってんだろ!流せよそこ!」

骸は愕然とした。

こんな番頭見た事がない。

下流の茶屋の番頭だって、きっともっと人となりはきちんとしているだろうに。

こんな番頭の下で彼が働いていると思うだけで業腹だが、
挙句彼に手なんて出していたら万死に値する。

「お?」

骸は番頭の前に佇んだ。

番頭は自分より背の高い人間と出くわす事がほとんどなかったので
物珍しさから骸を見上げた。
見上げた骸の顔は存分に陰っている。

「・・・君、千代菊に手なんて出していないでしょうね・・・?」

「ああ?」

「出していないかと訊いているのです。」

「店のもんに手なんざ出さねぇよ。番頭だったら常識だぞ。
それに俺は女専門だ。」

「僕だって彼に会うまでそうでしたよ・・・!」

番頭は口から煙管が落ちそうなほど呆けた顔で顔を歪めた。

「頭悪ぃのか旦那。って、おうおう、何だよこの金。この遊郭ごと買い取っちまう気か?」

胸に叩き付けるように渡された金に、番頭は更に呆けた顔をした。

「それで千代菊を貰って行きます。」

「はあ?」

「身請けする、と言っているのですよ。」

「頭悪ぃのか旦那。」

「黙れ。」

「身請けには届け出も必要なんだ。今日の今日って訳にはいかねぇんだよ。」

「それならそれで、ここに居られるだけ居させなさい。文句はありませんね?」

「まぁ、払うもん払ってくれりゃ、文句はねぇが。」

「その間千代菊には客を取らせないでくださいね。
彼を部屋に上げてください。」

言い捨てるようにして階段を上って行った骸の姿を見遣って番頭は
呆れを通り越した感嘆の息を吐いた。

「番頭さん、あれ誰?」

花魁が番頭の腕に擦り寄るようにして訊いた。

「ああ、六道んとこの放蕩若旦那だよ。」

「ええ!?あのおっきい呉服屋の!?」

「贔屓は作らねぇって番頭の間じゃ有名だったんだが。菊もすげぇの垂らし込んだな。
あ、てめぇくすねようとしてんじゃねぇよ。」

横から伸びて来た白い手を叩き落として骸が消えて行った階段を見遣ると
他の花魁が骸の姿を追うように階段の上を覗き込んでいた。

「いいな〜菊。あんな羽振りのいい旦那に気に入られて。」

「なー。同じするならあれくらいいい男がいい。」

「おう、てめぇら!他の客に聞こえたらどうすんだよ!
世間の大半はブ男で出来てんだ!!我慢しろ、我慢!!」

番頭さんの方が声が大きいという声とか、
店先の客にじろじろと見られても番頭は全く意に介しておらず
ひとつ溜息を落とすと「身請けねぇ」と呟いた。



夜でもまだ温い風に晒されながら、本当に戻って来るのかとそんな事さえ思ってしまったが。

控え目に襖が開かれて、覗いた顔はついさっきまで腕の中にいた彼で、
彼は困ったように、それでも確かに微笑んだ。

「本当に、物好きだね。」

骸は釣られるようにして微笑んでそっと腕を広げた。

「名前くらい、訊いてもいいでしょう?」

緩やかに小首を傾げて大きな目が笑った。

「・・・綱吉。」

足を滑らせるようにして骸のすぐ傍まで来て、笑う。

「綱吉って言うんだ。」

涙を流した後の赤く熟れた目元が健気に笑うから、
骸はその華奢な体を抱き寄せた。

「いい名前ですね・・・」

確かめるようにその肩口に顔を埋める。

どこにでもある名前だよ、と笑った綱吉は、
それでもそっと微笑むと、骸の胸に体を預けた。


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09.07.01
分かり辛いと思いますが、番頭はリボーンです(分かり辛・・・っ!)
またしても趣味がモロ出しです!!!!!
資料を調べたりしている訳ではないので事実と異なる事が多いと思いますが
パラレルと思ってご容赦ください!!