「それで、何で決着を付けますか。」

前を歩いている番頭の背に高慢に声を掛けると
番頭は呆れ顔で振り返った。

「何か勘違いしてねぇか?」

「勘違いをしているのは君です。聞いたでしょう?君を気持ち悪いと言ってました。」

「俺には俺とヤルのが気持ち悪いっつうように聞こえたが?」

「同じですよ。」

「違ぇよ、馬鹿!息してるだけで気持ち悪ぃなんざ人として死活問題だぞ。」

「それなら死になさい。綱吉は渡しませんよ。」

「旦那よぉ・・・ぜんぶがぜんぶ綱に惚れてると思うなよ。」

「すれ違う人間ぜんぶが綱吉を狙っているように見える。」

「重症だな。」

吐き捨てるように言って、気だるく縁側に腰を下ろすと骸に隣に座るように促した。
言われるままに腰を下ろして
のん気に煙管に火を点けた番頭よりも先に骸が口を開いた。

「身請けは当人同士と番頭の意思が合えば届け出は後日でもいいと聞き及びましたが。」

「調べたのか。」

「当然です。僕は本気ですから。」

「知ってるなら話しは早い。その当人の綱が首を縦に振らねぇんだ。
嫌がるもんを無理矢理出す訳にはいかねぇからな。」

眉根を寄せた骸は、少しばかり間を置いてから呟くように言った。

「・・・綱吉が?」

「言っておくがな、俺は綱にどうするか訊いただけだからな。完全に綱の意思だ。」

「何故?」

「それは知らねぇ。直接綱に訊きな。それはそれとして。
旦那は綱を身請けして、あの立派な実家に連れて帰るのか?」

「当たり前でしょう?それ以外に何が?」

「俺はこう見えても旦那の所の上客でな。ここの連中の着物を揃えたりしてるからよ。
だが、店で旦那を見た事が一度もねぇ。」

煙管から昇る煙を追うように目線を上げた番頭の横顔を
怪訝な顔で見遣る。

「・・・だから何ですか?」

「ふらふらしてる若旦那が突然男の妾を連れて帰って、
何も言われねぇほど世間様は甘くねぇって事だよ。」

「妾ではありませんよ。」

「旦那の中ではな。そりゃ格式高ぇ太夫を身請けしたとなりゃ、さすがは若旦那と持て囃されもするだろうが
歴史もねぇぽっと出の茶屋の、しかも男の花魁を連れて帰ってよ、
直接文句が言えるのは大旦那だけだろうな。」

「誰にも文句は言わせません。」

「そうだな。店の連中は言えねぇだろうよ。だがそうなると矛先が綱に向く。」

「君もしつこいですね。言わせないと言っているでしょう?」

「あんな大所帯の店の連中を、ひとりひとり監視でもするのか?
旦那は生まれながらに地位のある人間だ。下働きの人間の気持ちなんざ分からねぇだろうな。
座敷に上げるくれぇの教養は身に付けさせたが、それは飽くまで茶屋のものだ。
旦那の所じゃ下働きが精々、夜だけ閨に呼んで相手させるんじゃ、今と何も変わらねぇ。」

「家を出ても構わないと思ってますよ。」

「出てどうするんだよ。大旦那に睨まれたくねぇから勘当息子を匿うところなんざねぇよ。」

緩やかに上がる白い煙の向こうで、夜よりも深い黒の瞳が細くなる。

「冷静になれよ旦那。そんな事も分からねぇ旦那じゃねぇだろ?
何が綱にとって一番幸せなのか、考えてやってはくれねぇか。」

珍しく静かな声を出した番頭に「考えてますよ。」と吐き捨てるように言って
その場を後にした。


言い返せなかったのは、言葉に詰まったからじゃない。


売りものではない、と言った唇に、触れる事をまだ許して貰えていない。


無理にするものではないと思っていたから抑えていたけれど、
それなら綱吉は、自分の事をただの客だと思っているのだろうか。


それでも、自分を見上げるあの熱に熟れた瞳を嘘だとは思いたくない。


部屋に戻れば綱吉が青い空を背に微笑んだ。

「お帰り!随分早かったね。話しはもう済んだのかい?」

柔らかく微笑むその頬に、自然と口元が緩んでしまう。

「わ!」

綱吉を抱き込んでそのまま横に倒れ込んで、額と額をこつりと合わせる。

「どうしたの?元気がないみたいだね。番頭さんに苛められた?」

「苛められた、とは屈辱的な言葉ですね。」

綱吉はくすくす笑って骸の頬を撫ぜ付けた。

「番頭さんは口が悪いからね。」

「・・・結局僕は、世間知らずのぼんぼんだと言う事を思い知りました。」

綱吉はぎょっとして思わず勢い良く体を起こした。

「どうしたの旦那・・・!熱でも出た・・・!?」

いつでも自信に溢れている骸が零した弱音に、綱吉は慌ててその額に手を当てたが
綱吉の手の方が温かかった。

「あ・・・俺の手の方があったかい・・・」

しゅんとして自分の手を眺める綱吉に、思わず口元を綻ばせてから
甘えるように綱吉の膝に頭を乗せた。

綱吉は骸を見下ろして優しく目を細めると、
滑らかな骸の髪を撫ぜた。

「あの番頭、いつか這い蹲らせてやりますよ。」

綱吉は目を瞬かせてから楽しそうに笑った。

「面白いねぇ、旦那は。」

柔らかく笑う声、しなやかな指先が髪を滑る。
あまりの心地良さに目を細めて、骸は細い手を握る。


視線を上げれば飴色の瞳が笑う。


ああ何て綺麗なのだろう、と思って口を開くのを少し遅らせた。

「身請けの話しをしてました。」


言えば途端に瞳が伏せられるのが分かっていたから。


骸は体を起こして綱吉と向き合うが、綱吉は長い睫毛を伏せたままだった。

「僕はてっきり綱吉も、そのつもりでいると思ってました。」

咎めるよりも柔らかく言っても、綱吉は睫毛を揺らすだけだった。

どこか寂しげに引き結ばれるその桃の唇に、そっと唇を寄せるが
綱吉ははっとして顔を逸らしてしまう。

何かを耐えるように俯く綱吉は、骸に背中を向けてから場違いに明るい声を出す。

「気晴らしに散歩でも行って来たら?暑いけど、とってもいい天気だよ。」

障子を大きく開いて、その青い空を大きくさせる。
眩く青い空を見上げる綱吉は、空に吸い込まれていきそうに思えた。

「・・・そうですね。綱吉も一緒にどうですか?」

微かに振り向いた綱吉の長い睫毛が頬に影を落として
小さな唇がほんの微か、笑う。

「俺はいいよ。男なんか連れてたら笑われちゃうよ?」

「僕は、誰に何を言われても構いませんが。」

複雑な色に揺れる瞳が一体何を映しているのか骸にはさっぱり分からなかった。
骸なら、綱吉に同じ事を言われたら絶対嬉しいと思うのに。

綱吉はそっと視線を外に送った。

「たまには実家に帰ったら?もう全然帰ってないだろ。毎日迎えに来る店の人たちが可哀想じゃないか。
少しは顔を立ててやりなよ。」

「次に帰る時は、綱吉も一緒です。」

返事がないのは分かっているから、俯いた綱吉を視界から逃がすように
骸は部屋を出た。


暖簾を上げると骸の迎えが数人も立っていて、足を踏み出せば日除けの傘が差された。

「・・・お戻りですか?」

「いいえ、ただの散歩です。」

明るい日の下で真赤の遊郭の軒並みは白々しくそびえ立ち、
骸はひとつ溜息を落とした。


ふと振り返ると綱吉が、部屋の桟に凭れて骸を見詰めていた。
振り返ると思ってなかったのか少し慌てた後で、はにかんで緩やかに手を振った。
いってらっしゃい、とその唇が動く。

綱吉が微笑むから、骸も釣られるようにして微笑んだ。


昼間の閑散とした花街を風鈴売りが行き過ぎて
騒々しくも涼やかな音を散らしていった。


花街の恋に狂って殺した死んだと聞けば、愚かだと鼻で笑っていたりもしたが
今なら気持が少しは分かる。


ただ一言、好きと言ってくれさえしたら
今すぐにでも攫っていってしまうのに。


花街から一歩足を踏み出せば、そこには露店が軒を連ねていて
大層華やかで、賑わっていた。

「・・・夏祭りだそうです。」

引き連れて歩いていた店の人間が、ふと眉を動かした骸に告げた。

ああそう言えば綱吉がそんな事を言っていたと思い起こした。

夏祭りなんて微塵も興味はないが、綱吉が隣にいるなら楽しいかもしれない。
行きたそうにしていたが、骸が誘えば首を振るのだろう。

(何故、)

やはり綱吉は、自分をただの客の一人としか思ってないのだろうか。
例えばこのまま戻らなくても、綱吉は何も思わないのだろうか。

「・・・。」

それでも、諦めるにはあまりにも、この想いは強過ぎる。


祭囃子が鳴り響いて行燈に火が灯る頃、逡巡していた頭でも足は綱吉の待つ遊郭へと向いている。

夏祭りのせいかいつもより賑わっている人混みを擦り抜けていて
不意に呼び止められた。

「骸の旦那、随分とご無沙汰ですね。」

着飾った白塗りの女は誰もが同じに見えるから、
一体何処で顔を合わせたのかも覚えていない。

けれどそんな事は承知の上で、つと白い腕が骸の胸に添えられる。

「聞きましたよ。入れ上げてる花魁がいるとか?」

揶揄するような口振りに、骸もふと笑った。

「ええ。それでも全く相手にされてなくてね。」

「おや、可哀想に。旦那でも振られる事があるんですねぇ。慰めて差し上げましょうか?」

そっと胸に寄り添った甘やかな女性を、柔らかく遠ざける。

「生憎、そんな気分ではないので。」

小さく微笑んで踵を返した骸に、
女は目を瞬かせ「嫌だ、人が変わったみたい。」と思わずひとりごちた。


漆黒の暖簾を上げると、綱吉が浴衣に襷掛けをして配膳の手伝いをしていた。

広い廊下で擦れ違い様に、綱吉の体に手を伸ばす客がいて
眉を寄せた骸が止めようと店に上がる前に
綱吉が伸びてきた手をぱしりと叩いた。

「ほら、気安く触らないでよ。今は売りものじゃないんだから。」

「悔しいねぇ。菊ちゃんどこの旦那に入れ上げてるの?」

「内緒だよ。」


勝気に笑って身を翻した綱吉が誰の目にも触れない所で
まるで少女のように頬を染め、骸が贈った浴衣を嬉しそうにそっとそっと撫でる姿を見た。


そんな姿を見て、自惚れるなという方がどうかしている。


骸に気付かず階段を駆け上がっていった綱吉を追うように
骸も店に足を踏み入れた。

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