朝の陽射しは限りなく暖かくて眩しいのに、
綱吉は酷く重く暗い気持ちでお隣さんの呼び鈴に人差し指を添えた。


大きくひとつ、深呼吸する。


ぴん、ぽん、と聞き慣れた音が鳴って、出て来たのは目的の人物ではなかった。

「あら、綱吉くんおはよう!」

「あ、おはようございます!」

元気に挨拶をした後に、綱吉はお隣の家の奥さんの後ろにうろうろと視線を送った。

綱吉は酷く気まずそうに小さな声を出す。

「・・・あの、骸は・・・?」

「骸?今日も綱吉くんのところ行かなかったの?約束してた?」

「いや!約束してた訳じゃないんですけど・・・あ、じゃあ俺ももう行きますね!」

いってらっしゃい、と明るい声を背中に受けて、綱吉は悶々とする気持ちを振り払うように走り出した。
そう、約束している訳ではない。


約束している訳じゃ、ないのだけれど。


お隣さんの六道さんの家とは随分長いお付き合いだ。


聞けば父親同士が小学生の頃からお隣さんだというのだから、
至極当然に骸も綱吉も、物心つく前からのお付き合いになる。

六道さんの家の奥さんも、綱吉の家の奥さんも偶然にも同い年で、
同じように明るい性格だから気も合ったようで家族ぐるみのお付き合いが続いている。

更には骸が先に生まれたものの、ひとつしか年が変わらないので交流はいよいよ盛んになっている。

骸は朝寝坊しがちな綱吉を叩き起こしに来るのが幼稚園からの日課で、
その後は当然のように一緒に登校していた。


だから約束をしている訳ではない、のだが。


綱吉は重い気持ちで校門をくぐった。


ふと視線を上げると、校舎の通路に見慣れた人が歩いていて、綱吉は思わず立ち止った。


視線に気付いた骸は、ぼんやりとする綱吉と目が合うと、まるで見えていないように瞼を伏せた。



じくん、と胸が痛くなった。



そう、何だかよく分からないけど、無視されているのだ。


「おう、ツナ。昼寝もしねーなんて元気ねーな。」

「うう・・・」

「弁当食いに行こうぜ!」

元気のバロメーターが昼寝なことに若干ショックを受けながらも、
綱吉は山本と一緒に弁当を食べるべく屋上へとあがった。

「あっれー?骸しゃん今日も来てないんらー?」

骸の名前にどきりとしながらも、綱吉はなるべく平静を装うが
手が震えてしまい手に持っていたおにぎりの海苔がぷるぷる震えている。

「先輩たちと一緒じゃないんすか?」

「・・・先に出て行ったから、てっきり来てるかと思った。」

言いながら骸の同級生である千種と犬は綱吉たちの前に座って弁当を広げ出した。

綱吉が入学してから当たり前のように骸の友人たちと山本と、骸とで
お弁当を食べていたので、
骸がいなくてもこうやって自然に集まってくる。

とは言っても、こんなこと初めてだ。


正確に言えば3日前から。


「だからツナ元気なかったのなー」

「えええぇえぇえぇ!?!?」

「らから骸さん機嫌悪いんら!」

「なあぁぁあああああぁ!?」

「・・・早く仲直りしてよ。めんどい。」

「おおぉおおおおおお!?な、なんでみんな分かってんの・・・!?」

「らってお前昨日ぼけーっとし過ぎてストロー鼻に突っ込んでたのに気付いてなかったし。」

「・・・っ」

うん、確かに口と間違えて突っ込んでいたかもしれない。

綱吉は米粒の付いた指先を力なく見詰めた。

「喧嘩・・・じゃないと思う、」

「え?喧嘩じゃねーの?」

「う、うん・・・多分・・・」

「・・・じゃあ、何?」

「う・・・骸が勝手に無視してるっていうか・・・」



骸の態度が変わったのは、4日前の夜のことだった。



その日綱吉の家の浴槽が壊れてしまい、修理が出来るのが早くて翌日だったのだ。

銭湯でも行こうかと話していたのだが、持つべきものは親しいお隣さん。
骸の母親が風呂場を貸すと言ってくれたのだ。

綱吉の母親と骸の母親はママさんバレーに出掛けたので、先にお風呂を頂きに行った。

骸はまだ帰っておらず、家の人間が誰もいないのに風呂に入れるという不自然さは沢田家と六道家の間では不自然ではない。

お邪魔しまーす、と誰もいない家の中に向かって言って、
綱吉は当たり前のように浴室に向かった。

脱衣所で服を脱ぎ掛けてから、そういえば骸に連絡してなかったな、と思った。

でもまあ綱吉がいても驚いたりはしないだろうと、靴下を脱いだ。

玄関からがちゃりと音がすれば、骸の父親は帰りが遅いから骸だと分かる。

頭の上で階段を上って行く音を聞きながら、
綱吉は鼻歌交じりにパーカーを脱いでTシャツを捲り上げた時に、がらりと脱衣所の扉が開いた。

部屋着に着替えた骸が制服のシャツを洗濯籠に入れに来たのだ。

綱吉は捲り上げたTシャツの上から顔を出した。

「骸、お帰り〜」


骸のその時の顔っと言ったらなかった。


唖然と目を開いて、口を薄く開き、大層間延びした顔で固まっていたのだ。

終いには手からシャツがぽとりと落ちた。

何て間抜けな顔なんだ。いつもしっかり者の骸のこんな顔、文字通り生まれてこの方見た試しがない。


綱吉もしばらく唖然と見てしまったのだが、おかしくなって吹き出した。

「お前、何て顔だよ!」

あはははと笑い出すと、はっとした骸がぴしゃりと脱衣所の扉が閉めた。

「ちょ、骸!もっと見せてって!」

げらげら笑いながら扉をスライドさせようとするが、一向に動かない。

「あ、あれ・・・!?」

鍵は中にしかないから、それなら骸が押さえていることになる。

意地でも骸のあんな顔が見たいと懸命にスライドさせようとするが、
ガタガタと扉が音を立てるだけで動かない。

「骸!」

「出て来るなら服を着なさい!」

「え!?」


ぱっと下を見るとジーンズはボタンが外れていて、上は首にTシャツが絡んでいるだけだった。


綱吉はぷっと吹き出した。

「何だよ、今更。小さいときは毎日一緒に入ってたじゃん。あ、一緒に入るか?」

入る訳ないと突っ込みがくるかと思ったのに、扉の向こうはしんとしたままだった。

「?むくろ?」

そおっと開ければそこに骸はいなくって、暗い廊下が伸びているだけだった。

(あ、あれ・・・?)

いつから独り言だったんだろうとすごすごと脱衣所に戻って、服を脱いだ。

一緒に入るところを想像してしまったら恥ずかしくなって、綱吉は赤くなった頬を擦りながら風呂に入った。



「骸ーお風呂空いたぞー」

二階に向かって呼び掛けるが、返答がない。

とんとんと階段を上がって骸の部屋の前に立つが気配がなかった。

「むくろー?」


薄く開いたままの扉から部屋を覗くが、部屋はただ暗くて誰もいなくて、
開けっ放しのカーテンの向こうに自分の部屋が見えた。


(出掛けたのかな・・・)



その時はそれ以上何も思わずに帰ったのだが、次の日の朝、骸は来なかった。



そして現在に至る。



「・・・別に俺、骸怒らせるようなことしてないよね・・・?」

「・・・それはツナが悪ぃよ。」

「えぇ!?」

山本の思わぬ意見に驚いて山本を見てもっと驚いた。

「なああああ!?」

山本はこの世の不幸をぜんぶ背負ったような顔でうっそりと足元を見詰めていた。

「山本のこんな顔見たことないんだけど・・・っ!
って、柿本さん何で俺を汚物でも見るような顔してんですか・・・!?」

「骸しゃん可哀想ら・・・」

「なぁ!?城島さんまで何か掴んでる様子!?あ、あのどこら辺が骸を怒らせたんですか・・・?」

「・・・それは自分で考えなよ。じゃなきゃ骸さんが浮かばれない。」

「死んでないびょん。」

千種が犬に突っ込まれるなんて緊急事態だ。

山本はどんよりしてるし、このおかしな空間を作ってしまったのは紛れもなく自分の発言だ。


けれど、何が悪かったのかさっぱり分からない。


「・・・。」

綱吉は小さな唇を尖らせて俯いた。


「で、でもさ・・・何か悪かったなら、言ってくれてもよくない・・・?そんな、無視とか」


朝の光景を思い出したら胸が詰まって言葉も詰まった。


じわりと視界が滲む。


「泣くくらいなら謝ったらいいびょん。」

「駄目だよ。理由も分からないのに謝ったら、骸さんもっと怒る。」

「な、泣いてなんかない・・・!」

精一杯の強がりで言って綱吉は空を仰いだ。



ああ、空が目に沁みる。



綱吉はぐず、と鼻を鳴らした。



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