教室に足を踏み入れると一瞬で空気が変わったのが分かった。

それは学校に足を踏み入れてからずっとあったものだったけれど。


綱吉はそっと目を伏せた。


骸は行かなくていいと言ってくれたけれど、
頬の痣も消えたし具合も悪くないのに学校を休むのは気が引けた。

けれど自分が原因で学校の空気がおかしくなるのは、居た堪れない気持ちになる。


変わらないのは山本だけだった。


「よう、六道!体調もういいのか?」

「うん、もう平気・・・ありがと。あ・・・担任の先生、変わったの・・・?」

確信があった訳ではない。
ただ何となく気になっただけで、と心の中で言い訳をして、けれど。

「お?知ってたのか。担任っつーか、先生たち全員入れ替えだってさ。」

珍しいよなーこんな時期に、と山本はのん気に続けた。


綱吉は瞼を落とした。


まさか骸が本当にそこまでするとは思わなかった。
いや、どこかでは分かっていたのかもしれない。

「おお、そうだ、六道!」

山本の声にはっとして視線を上げると、山本はにっと笑った。


山本はどこまで分かっているのだろう。
或いはそういった噂には興味がないのかもしれない。

もしそうだとしたら、とても有難い。


「ノート取っておこうと思ったんだけどさー
眠気に勝てなくて飛び飛びになってんだけど、使うか?」

「わ!ありがとう!使う使う!」


けれど綱吉と仲良くする事で山本まで好奇な目を向けられたり
嫌悪を示されるのは、とても辛い。

ふと憂いを帯びた表情に染まった綱吉を、不思議そうに眺めた。


「六道?」

「え!あ・・・あの、ノート、明日返すね。」

「いつでもいいぜ。俺どーせ使わねーし。」


そんな事を言ってにっと笑う山本に、救われた気持ちになるのもまた事実だった。


けれど、巻き込んではいけない。

山本はスポーツ推薦だから、怪我をさせる訳にはいかない。

この間だって庇ってくれようとした。
あのまま殴られていてもきっと、庇ってくれたのだろう。

それだけは、させてはいけない。

だから、一人でいる。

一人でいる時に、見知らぬ生徒に肩を掴まれる事も慣れなくてはいけない。


「随分素直に付いて来たな。」

空き教室に連れ込まれて、やっぱりそこにも見知らぬ生徒が何人もいても、
綱吉はもう動じなかった。


それにもう、分かっている事もある。


表情を失くして目を伏せたままの綱吉に、舌打ちが聞こえた。


殴りたければ殴ればいい。
そんな事で、気が済むのなら。


「ああでもコイツに手ぇ上げると、同じ目に遭うからな。」


(え・・・?)


綱吉は思わず瞳を彷徨わせた。


「知らなかった訳ないだろ?お前を殴った奴、今入院してんだぜ。」


血の気が引いていくのが分かった。
凍え始めた指先が、膝まで震わせた。

「どうせお前がパパにチクったんだろ?」

ざわざわと背中が揺れて唇が震えた。


骸は知らない筈だ。
だって綱吉だって誰だか分からないし、あの時の担任だって顔は見てない筈だ。


違う、とうわ言のように呟いて、けれど鼻で笑われて
体がかじかんでいった。

嘘だ違う、とひたすら心の中で繰り返した。


「いいご身分だよな〜どうせパパはまともに仕事しないで女遊びでもしてんだろ?」


沸き上がった笑い声に、眩暈がした。

一転して体中に激しく血が巡る。


「・・・な、」

「は?」

「父さんを悪く言うな・・・!!」


儚かった表情は消え去り、苛烈な怒りを宿した瞳に気圧され、
一瞬教室がしん、と静まり返る。


「ここで何をしてるんだ!!」

扉が勢い良く開かれて飛び込んで来た教師に、
やべぇと声を漏らし、窓から生徒たちが逃げて行った。

どうしてここが分かったんだよと呟く声が耳に届いた。


そう、分かっている事があった。
こうしていても、誰かが飛び込んでくるだろう事が。


「大丈夫ですか!?」

綱吉はただ、大きな目からぱたぱたと涙を零していた。

「大丈夫です・・・何でもないんです、本当に・・・ただ、話してただけで・・・」

「でも、泣いて、」

「本当に何でもないんです・・・!俺も怪我なんてしてないし、だから絶対に言わないで・・・!」

顔を歪めて涙を零し、懇願する綱吉に教師は口を引き結んだ。



泣いているのは、怖かったからじゃない。



骸は大人なんだし、当り前だと思って
骸は大人だから、綱吉を気持ちよくする言葉なんてうんと知っているのだろうと
言い聞かせるための言葉は逆効果だった。


骸にとって自分は何なのだろうと思って
綱吉はとうとう蹲って涙を零した。

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