学校の近くに車を止めると、骸はいつものように頬にキスを落とした。

短く柔らかく唇を押し付けて、骸の唇は小さな唇に重ねられた。

柔らかくくすぐるようなじれったいキスに、綱吉が無意識にぎゅうと骸の腕を握ると
すぐそこで骸がくす、と笑ってまた唇を柔らかく合わせる。

甘く柔らかく唇を吸い合って、離れ難くて何度も吸い合う。

ちらと差し出された舌に、綱吉は拙い仕草で小さな舌を合わせた。

ちゅ、と舌を吸われ甘く噛まれて綱吉は唇を震わせた。

「ん、父さん・・・」

目元を赤く染め上げて顎を引いた綱吉に、
骸は小さく笑って綱吉の前髪を優しく分けると額にキスをした。

「いってらっしゃい。」

「うん・・・いってきます。父さんもいってらっしゃい。」

「いってきます。」

車を降りる間際にまたキスをして、綱吉は骸の乗る車を見送った。

こうして少しの間だけ離れるのも寂しく思ってしまうなんてと
綱吉は学校に向かいながら一人頬を赤くした。

「あれ?おはよう、山本!誰か待ってるの?」

校門の前に山本が通学カバンを持ったまま立っていて
綱吉に気付くとよう、と手を上げた。

「六道を待っててさ。」

「え、俺?」

「ちょっといいか?」

山本にしてはあまり歯切れのよくない受け答えで
綱吉はきょとんと首を傾げたが、正門から少し離れた所まで山本に付いて行った。

山本はあまり人が通らないのを確認すると
真摯な面持ちで綱吉と向き合った。

普段とはまるで違う雰囲気の山本に、綱吉は不思議そうに瞬きをした。

「俺は六道は関係ねーと思ってんだけどさ、
一応耳には入れておこうと思ってな。」

「え?」

山本はここでようやく苦笑いをした。

「上級生の連中がさ、リンチに遭ったんだって。」

「う、ん・・・」

「それが六道に手ぇ出そうとした連中ばっかりだって、息撒いてる奴がいてさ。」

「え・・・?」

すとん、と胸の奥に冷たい鉛が落ちてきたような気がして、
どこから来るのか分からない焦燥感に背中が焼けた。

「俺は六道は関係ねぇと思ってるし、大体の生徒もそう思ってると思うけど
変な事言ってる奴がいるのも確かだからさ。こんなんでどうのって訳じゃねぇけど
何かあったら言ってくれよな?」

「あ・・・」

顔色を失くした綱吉に、山本は申し訳なさそうに眉尻を下げた。

「言わねぇで万が一六道が巻き込まれるのも嫌だったから、ごめんな。」

「あ・・・!ううん!山本は何も悪くないよ・・・!言ってくれてありがとう。」

慌てて手を振ると山本はほっとしたように笑って何か言い掛けてすぐに
綱吉の後ろに目を向けた。

「?」

釣られるように振り返って綱吉は目を見張った。

「そこで何をしているのですか?」

「父さ、ん」

振り返るとそこには、会社に向かった筈の骸が佇んでいた。
そこに表情はなく、酷く、冷たかった。

「会社に行ったんじゃ・・・?」

「行きますよ。通り掛かったら君がいたから。」

長い睫毛が白い頬に影を作り、人形のようで綱吉は息を詰めた。

山本は「六道の親父さん?」と尋ねてきたが、骸のあまりの若さに驚いているようだった。

綱吉がなんとか頷くと、山本はそっか、と頷き骸を見上げた。

「俺山本って言います。六道とはクラスが一緒で」

「同級生ですか?」

睫毛の下でちらと山本に一瞥をくれた。

「はい。ちょうどよかった。六道が」

「あ・・・!待って山本・・・!」

「ん?こういうのはちゃんと言っておいた方がいいぞ?」

「あの、でも、」

慌てて山本を止める綱吉に、骸はすっと目を細めた。

「何の話しですか?」

冷たく言葉を切った骸に綱吉は息を詰めたが
山本は動じていなかった。

「あの」

「あ、父さん・・・!俺今日学校休んでもいい・・・!?」

「え!?」

綱吉の突然の言葉に驚いたのは山本だった。
けれど元から学校に通う事を渋っていた骸はあっさりと綱吉の手を引いた。

「構いませんよ。」

「お!?」

「あ、ごめんね山本・・・!あの、ありがとう・・・!」

強く腕を引かれて肩からカバンが滑り落ちた。
何とか手に引っ掛けて綱吉は転びそうになりながらも骸に懸命に歩調を合わせた。

山本は何も知らずにそんな二人を眺めて笑っていたから
綱吉は少しだけ安心した。

振り向きもせずに綱吉の手を強く引いていた骸は腕時計に視線を落とした。

「会社に行ってから家に送らせるのでも構いませんか?」

「え・・・!あ、うん・・・!俺は大丈夫・・・、」

言うと骸は少しだけ振り向いて微笑んだので、綱吉は安心した。

けれど車に乗り込んでから骸は考え込むようにして押し黙っていたので
綱吉はまた不安が過った。

ちら、と見上げると骸がほとんど同じくらいに綱吉に視線を向けた。

「山本くん、ですか?彼とは何を?」

まだ冷たさを残す声に、綱吉は瞳を彷徨わせた。

「あ・・・何、か・・・学校で怪我する人が多いから、気を付けなって言ってくれて、」

「彼が?わざわざ綱吉だけに?」

「いや!・・・みんなに、言ってるみたいだよ。」

どうしてそんな言い訳染みた事が口を突いて出てしまったのか分からなかったけれど
骸の綺麗な瞳が今は、酷く冷たい光を宿しているように見えたからかもしれない。

「それにしては随分と、仲が良さそうでしたね。」

「山本は、たまたま席が隣なだけで・・・特に仲がいい訳じゃないよ・・・」

口籠るようにして目を逸らしてしまったが、骸がくす、と笑ったので
ほっとして骸に視線を戻したのだけれど。

「そう言う時の綱吉は、何かを庇う時ですよねぇ。」

あまりの瞳の色の冷たさに目を見開いた綱吉の頬に、長い指が柔らかく滑る。

触れる甘さは変わらないのに、その温度のあまりの冷たさに小さな唇が微かに震えた。

「・・・で、も、山本は庇わなきゃいけないような事は、ひとつも、してないよ・・・?」

そうでしょうか、と綱吉の言葉を潰すように言い捨てて骸は、
綱吉の腰を強引に抱き寄せた。

「綱吉は僕に隠し事が多過ぎます。」

「隠し事なんて・・・」

「してますよ。」

言い切って綱吉の言葉を遮るように胸に抱き込んだ。

「君が何を思っているのか何を考えているのか、僕にはさっぱり分からない。」

「そんな・・・」

苛立ちを滲ませた骸はやがてふと微笑んで、綱吉の華奢な背に手を滑らせた。

「今日はもう、家から出ないようにしてください。」

「え?」

「怪我をする人間が多いのでしょう?まぁ、綱吉には害のない学校にはなっているでしょうけど。」

はっと顔を上げると、骸はぞっとするほど綺麗に笑った。

「邪魔な人間は要りません。ましてや綱吉を傷付けるような人間は。」

目を見張って体を固めた綱吉は、滲む目で骸を見上げて掠れた声で呟いた。

「・・・父さん、なの・・・?」

骸はふわと笑った。

「僕、ではありませんよ。」

何が、とも言わずに、けれどただ視線を合わせて綱吉は目を見張ったまま
揺れる瞳で微笑む骸を見詰めた。

骸が違うと言うのなら、信じたいという願いではなく
信じると決めたから綱吉は、小さく頷いた。

骸は褒めるように額にキスを落として綱吉の頭を抱き寄せたから
綱吉は骸の胸に擦り寄るようにして背中に腕を回した。

「ああ、そういえば施設の教員にタオルか何か、借りていますよね?」

「え!」

驚いて顔を上げると、骸はくす、と笑った。

確かにタオルを借りている。
頬に痣を作った、骸に初めて抱かれた日に。

けれど施設の先生は、骸には言わないと言っていたのに。

驚く綱吉をよそに、骸は微笑んだままあっさりと言った。

「それはもう捨てなさい。」

「え・・・!?」

滑らかに白い指が丸い頬を愛おしそうに滑る。

「施設はもうないので持っていても仕方ありませんよ。」

「ない・・・って?」

「誰もいなくなったので潰しました。人がいないのに建物だけあっても仕方ないでしょう?」

ついこの間まで確かにそこにあった、育った施設がなくなってしまった事に目を見開いた綱吉は、
やがて少し俯いて眉尻を下げてしまった。

その表情に骸の表情が曇る。

「綱吉は何故あの施設にそんなに拘るのですか?」

棘を含む声に綱吉ははっと顔を上げた。

「拘ってる訳じゃ、」

「それなら何故そんな顔をするのですか?」

問い詰めるように体を寄せて、綱吉をシートに押し付けた。

「だって、あそこは、」

「戻りたい?」

「戻りたい訳じゃないよ・・・!あ・・・っ」

乱れた制服の隙間から躊躇いもなく差し入れられた大きな手は
綱吉の脇腹を撫で上げる。

華奢な白い首に、骸の舌先が這った。

「父、さん・・・やだ、こんなとこで」

頬を染め上げて瞳を濡らした綱吉の腕を押さえ付けて
骸は首に吸い付いた。

「・・・っ人が、いるのに・・・」

「運転席には何も聞こえないようになってますよ。」

熱を帯びた乾いた声で言って、背中に手を這わせた。

「や・・・っ」

逃げるように体を捩ると、骸は眉根を寄せて綱吉を更に抑え込んだ。

「僕と出会う前の記憶などすべて忘れなさい。」

目を見開いた綱吉の視界には、苛立ちを強く滲ませて
悲痛なまでに眉根を寄せた骸がいて、

「僕には綱吉だけなのに、」

吐き捨てるように言った。

「綱吉は僕だけじゃない。僕の他に大切なものがたくさんある。」

「父さ、」



違うのに。

そうじゃないのに。



運転席からコツ、コツ、とノックが聞こえた。

いつの間にか車は停車し、気付けば煌びやかな会社の前だった。

マジックミラーの窓の外に、会社の人間が数人控えていて
骸は緩やかに体を起こすと、ふと表情をなくした。
それは綱吉が見慣れない骸の顔で、綱吉以外に見せる顔だった。

「父さん、」

このまま離れてしまうにはあまりにも苦しくて
綱吉は無意識に骸を呼んだ。

骸は表情はそのままに少しだけ体を起こした綱吉に、
体を倒して一度だけ唇にキスをした。

ちゅ、と短い音だけ残して唇は離れた。

父さん、ともう一度呼び掛けるが、開いた扉から骸は振り向きもせずに降りて行ってしまった。

ばたん、と音を立てて扉は閉まり、骸の背中が遠ざかる。
綱吉はただその背を目で追うしか出来なくて。

触れた唇はいつもと変わらず優しいのに、
遠ざかる骸の姿がまるでそのまま二人の距離のような気がした。

不意に胸の奥に滑り込んできた冷たい風に
涙がひとつ落ちた。

縋る訳ではないけれど、緩やかに走り出した車の運転席を指で叩いた。
薄く窓が開いて、綱吉は頬の涙を拭った。

「・・・すみません、少し回り道して貰ってもいいですか・・・?」




(・・・父さん、俺の事、信じられない、のかな・・・)

じわと視界が滲んだ時に、運転席からノックが聞こえた。

通り過ぎる風景の中に、施設の跡を見た。

本当に、何もなかった。

楽しかった事も、悲しかった事も、すべてが詰まっていた施設はもう、ない。

今は骸がいるから、綱吉の帰る場所は骸の所だけだから、でも。


もしも骸が施設にいた時の自分を見ていてくれたのだとしたら、
骸のいない記憶だって、もっともっと優しいものに変わるのに。

過去には戻れないからだから、その記憶でさえ骸と共有出来るのなら
どんなに素晴らしい事かと思っているのに。



大切なものは他にもあるのかもしれない。


けれど、骸以上に大切なものなどひとつもないのに。


どうして、伝わらないのだろう。



綱吉は涙が滲む瞳を隠すように窓に額を押し付けた。



09.06.25                                    NEXT