リビングの入口からひょこりと顔を覗かせる。
昨日の事が頭に残っていて、気恥ずかしかった。

骸はもうテーブルに着いていて、新聞を読んでいた。
英語ではないのは綱吉にも分かった。
長い足を組んで目を伏せる姿は様になっていて、綱吉はますます気遅れてしまった。

でもずっとこうしている訳にもいかないので、意を決してリビングに足を踏み入れる。

「お、おはよう」

「おはよう。おや」

顔を上げた骸はいつも通り穏やかに微笑んでから、眉を持ち上げた。

「新しい制服も、似合いますね。」

照れ臭くて少し俯いてしまう。
顔を上げられないまま、手に握っていたネクタイを持ち上げた。

「ネクタイ、やり方分からなくて・・・教えてくれる?」

前の学校は学ランだったから、新しい学校のネクタイには戸惑った。
自分でもやってみようとしたのだが、蝶々結びさえ満足に出来ないのでネクタイは論外だった。

骸は揶揄するでもなく柔らかく笑うと、手招きをした。

「ここに、しゃがんで下さい。」

「え、う、うん」

指し示されたのは骸の前で、しかも背中を向けるように肩を掴まれたのでいささか戸惑う。

(うわ・・・!)

「こうした方が分かりやすいでしょう?」

綱吉は骸の足の間に座る格好になって、骸は更に囲うように腕を伸ばす。
長い髪がさらりと頬を掠めて、酷く距離が近いのを認識せざるを得ない。

手慣れた様子でネクタイが結ばれていく。

「ここを合わせて」

「う、うん」

声がすぐ耳元で聞こえてきて、綱吉は体を硬直させた。
何で骸の声はこんなに甘いんだろうと頭がくらくらしてくる。

長い指が動くたびに仄かに香る甘い香りが骸そのものに思えてくる。

もうネクタイどころではない。

「分かりました?」

不意に顔を覗き込まれて驚いて骸の方を見てしまい、酷く近い距離で目が、合う。

「・・・ぅ」

瞬きも出来ないで、息を詰めてしまった綱吉に、骸はにこりと笑い掛けた。

「一回では分かりませんよね?綱吉が覚えるまで僕が結びますよ。」

ありがとう、と酷く小さな声で呟く。

正直なところ何も覚えていない。
ただでさえ覚えが悪いのに、この調子では一体いつ覚えられるのか分からない。

悶々としながら立ち上がると、するりと長い腕が伸びてきて綱吉の体を絡め取った。

「わ!」

よろけて座り込んだ先が骸の膝の上で、背中に骸の体温が移ってどきりとした。

「ごめん・・・!」

慌てて立ち上がろうとしたが、骸の腕にきっちりと包まれてしまう。

「覚えなくてもいいですよ?僕がずっとしてあげます。」

じゃれつくように頬擦りをされて、この上なく甘やかすような事を言われて、
嬉しいのか恥ずかしいのか綱吉は訳が分からなくなった。

「や、からかわないでよ・・・」

逃げるように体を捩ればあっさりと解放されて、拍子抜けしてしまった。
そんな綱吉をよそに、骸は微笑んだ。

「さぁ、早くしないと遅刻してしまいますよ。」

(うう・・・)

自分だけばたばたしてるのが寂しい。
綱吉ははっきりとそう思ってから、慌てて首を振った。

(いやいやいや、おかしいよ、俺・・・)

ちらりと骸を見遣っても、やっぱり骸は微笑んでいるだけだった。
無意識に肩を落として席に着いて、ようやく家の中が静かな事に気が付いた。

「・・・あれ?まだ誰も来てないの・・・?」

この時間でももう何人かは家の中にいる筈だが、人の気配を全く感じない。

「ええ。今日だけではなく、もう誰も来ませんよ。」

「え・・・!」

急な話しだと思った。
誰もそんな事、一言も言っていなかった。

「あ、もしかして・・・」

昨日の事を思い出して、自分のせいではないかと思い至って口を開くが
骸に言葉を遮られた。

「一週間。」

「え?」

骸はにこりと笑う。

「綱吉がここに来て一週間でしょう?元からそういう約束でした。」

「あ・・・うん、そっか・・・」

骸は優しい。
恐らく自分のせいだろうという確信めいたものがあったが、
骸はきっとずっと、綱吉のせいだとは言わないのだろう。

自分のせいで仕事がなくなったのなら申し訳なくてどうしようもないけれど、
骸の判断をどこかで嬉しく思う自分がいるのも本当だった。
 
「・・・この朝ご飯って、もしかして父さんが?」
 
「簡単なものしか作れませんけどね。」
 
簡単なものと言っても、綱吉には作れそうもないものだし
ホテルの朝食を思わせる綺麗な見た目は食欲もそそる。
 
「俺だったら絶対作れないし・・・父さんってホント何でも出来るんだね!」
 
花が綻ぶように笑った綱吉に、骸は目を細めた。
けれど、綱吉は骸のその僅かな表情の変化に気付かなかった。

「じゃあさ、掃除は俺がしてもいい?」

「一人では大変ですよ。大丈夫です。ハウスキーパーを呼びますから。」

「じゃあ、ご飯は俺が作ってもいい・・・?ちゃんと分量量るから。」

骸はふわりと笑った。

「心配しなくて大丈夫ですよ。食事の用意は人がちゃんと来ますから。」

「・・・心配とかじゃなくて、父さんのご飯、作りたい・・・・」

「いい子ですね。僕は綱吉がいてくれるだけで十分ですよ。」
 
骸は綱吉の後頭部を捕らえると、唇の端にキスを落としてからぺろりと舐めた。
 
「・・・っ!!!」
 
盛大に慌てた綱吉の手からフォークが飛び出した。
がしゃんと忙しない音がして綱吉は我に返った。
 
「おやおや。大丈夫ですか?食べかすが付いていたもので。」
 
骸は何食わぬ顔でしれっと言い放つと微笑んだ。
 
「あああううん。あ、ありがとう」

この家に来てから、何回口から心臓が飛び出しそうになったか分からない。
それとは正反対に骸は至って冷静で、ただのスキンシップだと言われれば
慌てている自分がおかしく思えてしまう。

(普通、なのかな・・・これ・・・)

唇の端、触れるか触れないかの辺り。
熱っぽくてじんじんする。


ただひとつ分かるのは


「綱吉。」


顔を上げると、骸は優しく笑った。




ただひとつ、分かるのは、
骸が笑うと胸の奥が痛くなる事だけだった。







09.01.07                                                                         NEXT