「今日も迎えに来ます。」

朝の車の中で骸に告げられた。

「あ、でも・・・」

戸惑う綱吉の頬をすと撫ぜる。

「嫌ですか?」

「ううん・・・!嫌じゃない、嬉しいよ。
・・・でも仕事、抜けるんでしょ・・・?」

綱吉だって、少しでも骸と一緒にいられるなら
とても嬉しい。

でも昨日は夕方頃まで一緒にいられたが、
結局仕事に戻って行って、帰って来たのは夜中だった。

忙しいのは分かっているから
綱吉と一緒にいる事で仕事が滞るなら、
それはとても心苦しい。

「来られない時は来ません。」

「えっ!?」

驚いて目を丸くした綱吉に、
骸はふわりと笑い掛けた。

「抜けられない時は車だけを迎えに出しますから。
無理をしている訳ではないのですよ。
だから、たまに僕の息抜きに付き合って下さい。」

「あ・・・」

どうしても気を遣ってしまう綱吉には、
骸の言葉の使い方がとても嬉しかった。
本当は一緒にいたいのに甘え方が分からないから。

骸は綱吉の手をそっと取って、
その小さな爪に口付けた。

「駄目ですか?」

濡れた瞳に息が止まる。

綱吉は骸の視線から逃れられず、
ただ小さく首を振った。

「・・・嬉しい。」

ほとんど熱に浮かされたように呟くと
骸は嬉しそうに笑った。

「ではお言葉に甘えて、
甘えさせて貰います。」

甘えてるのは俺なのに、と思ったけれど声にならなかった。
綱吉が言葉を音にする前に、
骸の手が、綱吉の顔をゆったりと包み込んだから。

「いってらっしゃい。気を付けて。」

そう言って骸は、綱吉の柔らかい頬にキスを落とす。
唇は柔らかく吸い付き、ゆっくりと耳元へと移動していく。
 
「君だけの体ではないのですから・・・」
 
吐息と共に耳へ流れ込んできた言葉はとても甘く
とても熱く、綱吉は堪らず体を震わせた。

「ほら、急がないと遅刻しますよ。」

「あ・・・」

また一人で熱を上げてしまっていたから
綱吉は恥ずかしくて頬を赤らめた。

そんな綱吉に骸は目を細めて
赤く色付いた頬にキスを落とした。


車を降りても窓から伸びる骸の手を握って、
ゆっくりと進む車に合わせて滑るように手が離れていく。

柔らかく離れて行った指に、
綱吉は寂しさを覚えた。

またすぐ、会えるというのに。



骸を乗せた車を見送って一人になると、
隼人の事を思った。

骸といる時には意識の端に追いやられていて
薄情な自分に嫌気が差す。
 
けれど綱吉は昨日の骸の言葉が信じられずにいた。
骸はいつも優しくて柔らかくて
昨日だって会社に戻るまでずっと手を繋いでいてくれたし
学校の事だっていろいろ心配してくれた。

骸だって忙しいのだから疲れていたのかもしれない。
自分を納得させる理由はいくらでも思い浮かんだ。
だから綱吉に骸を責める気はなかった。

隼人はいつの間にか大人になって口を閉ざしていたけど、
気に障ったのは分かった。

恐らく綱吉の養父だからとか
自分の養父との兼ね合いなど色々あったのだろうが、
それでもやはり随分と大人びていた。

きっと隼人は気にしてないと言って笑うだろうけど
隼人が傷付いたなら、綱吉だって傷付く。

(謝ろう)

勝手かもしれないけど、
好きな人たちには嫌い合って欲しくなかった。

骸を、嫌いにならないで欲しかった。


教室に入るとまだ生徒はまばらだったが、
山本はもう席に着いていた。

「よう、六道!」

「おはよう!山本君、早いね。」

「おお、山本でいいぜ。毎日朝練なんだよ。」

山本は眠そうな目を擦りながら笑った。
綱吉も釣られるように少し笑った。

隼人の席を見るとやはり来ていなかった。
「重役出勤」なのは分かっているから隼人が来るのを待とうと思ったが
朝のホームルームで担任が告げた言葉に素っ頓狂な声を上げてしまった。

「イ、イタリアー!?」

予想以上に大きな声が出てしまって気まずくなり
ちらちら振り返る生徒に口元を押さえてすみません、と謝った。

「六道も知らなかったのか?」

「うん・・・留学なんて昨日は一言も・・・
や、山本も知らなかった?」

「おお。今知った。」

さすがの山本もきょとんとしてしまっている。

ふと隼人が施設からいなくなった日の事を思い出した。

何故今そんな事を思い出すのか分からなかったが
何も言わずにいなくなったあの日と重なる。

あの日も確かにまた明日、と言って部屋に戻った。

「でもアイツの事だからしんみりすんのが嫌だったのかもな。」

「・・・え?」

半ば呆然とする綱吉に、山本は笑い掛けた。

「よく分かんねーけど、イタリアって遠いんだろ?」

「う・・・俺もよく分かんない・・・」

目を合わせてぱちぱちと瞬きした後、
思わず小さく吹き出した。

「だからさ、落ち着いたらひょっこり連絡来んじゃね?」

「あ・・・そう、かもね。うん!ありがとう・・・」

山本の言葉に励まされて照れ臭そうに笑った綱吉に
山本はにこっと笑った。


五年前は連絡の付かない隼人に、
もしかしたらもう連絡を絶ちたいと思っているのかもしれないと
どこかで思っていた所もあった。

けれど昨日の話しを聞いて、
ただ連絡が取れなかっただけだと分かった。
だから隼人が連絡を取れない状態にあるのなら、
こちらから連絡を付ければいいんだ。

ホームルームが終わると、
綱吉はすぐに担任の所へ行った。

「どうかしましたか?」

他の生徒たちの対応と違って他人行儀な担任に
居心地の悪さを感じる。

「あ、あの、隼人君の、柿本君の連絡先を知りたいんですけど」

「申し訳ないのですが、私には分かりません。」

「え・・・!?あの、じゃあ誰なら」

「恐らく誰も知らないですよ。」

知らない筈はないだろう、と思ったが
担任はそれだけ言うと綱吉から離れて行った。

酷い疎外感を感じた。

五年前、施設の先生たちも
隼人の連絡先は分からないと言った。

(なん、で・・・?)

けれど綱吉はすぐに頭を振った。
考えたって分からないし、本当に知らないのかもしれない。

(・・・父さんなら、知ってるかも・・・)

隼人の養父は骸の秘書をしていると言っていた。
昨日、骸は学校の先生たちやクラスメイトの話しを訊いてきたが
隼人の話しは一切訊いてこなかった。
でも秘書である柿本の事なら知っているだろう。

(帰ったら訊いてみよう)

隼人の連絡先が分かるかもしれない。
綱吉は知らずに微笑んでした。



学校が終わると、車はすでに迎えに来ていて
骸もちゃんと迎えに来ていた。

さっそく訊こうと思ったのだが、
なかなか言い出せなかった。

綱吉が口を開くと、見透かすように違う話しをしてくる。
骸が、隼人の話しを拒んでいるように思えた。

家に帰ってからも、なかなか言い出せなかった。
けれど訊かなければ隼人と連絡が取れない。

綱吉は勇気を振り絞って
ソファでネクタイを緩めている骸に歩み寄った。

「父、さん・・・」

「どうしました?」

いつもと変わらない笑顔の筈なのに冷たく思えて
綱吉はこくりと息を飲んだ。

「あ、の、隼人君、が留学して」

「そうでしたか。」

あっさりと返して話しを終わらせようとする骸に
それでも綱吉は食い下がった。

「連絡先が」

「知りませんよ。」

言い終わる前に強く言い切られて
綱吉は体を竦ませた。

「あ、でも隼人君のお父さんが」

「ああ、柿本とは顔を合わせないので。」

嘘だと思った。

確かに隼人は秘書をしていると言っていた。
秘書と顔を合わせない訳ないのに。

骸が何故そんな嘘を吐くのか分からなくて
綱吉は酷く悲しい気持ちになった。

「綱吉。」

けれど、胸に広がった疑念の一滴さえ、
骸に触れられたら消し飛んでしまいそうだった。

骸は綱吉の手を引くと、
向かい合うような形で膝の上に座らせてしまった。
突然の事に綱吉は慌てふためいた。

「父さん・・・は、恥ずかしいから、
降りてもいい・・・?」

「駄目です。」

頬を染めて身じろぐ綱吉の肩を掴む。

「どうしてそんな顔をするの?綱吉。」

はっとして顔を上げると、
骸は酷く寂しそうな顔をしていた。
その表情に、胸の奥が痛くなった。

「とても、悲しそうな顔をしてますね。」

「あ・・・」

「僕がいるのに寂しい?」

「違う、よ、あ・・・」

骸は綱吉の頬にキスを落とした。
甘く吸い上げるように何度もキスをして
唇は頬を滑っていった。

「ん・・・っ父さ、・・・」

骸は綱吉の小さな耳を柔らかく噛み、
舌先が耳の縁をなぞっていった。

「や、だ」

体がおかしくなりそうで、
骸の肩を押しやったがびくともしなかった。

「キス、してもいいですか?」

驚いて目を見開いた綱吉だったが
骸の真摯な表情に息を飲んだ。

キスなら今だってしてたのにわざわざ訊くなんて
唇に、という事なのだろうか。

「あ・・・」

自分の頬が赤くなっていくのが分かった。

いつの間にか、骸のその赤く色付くやさしい唇が
自分の唇に重なる事を望んでしまっていた。
 
けれど自分からしたいと頷くのは
とてもはしたなく思えて躊躇った。

骸は頬を真っ赤にして戸惑う綱吉の鼻先に
吸い付くようなキスを落とした。

「う、あ・・・・」

キスというのは今のキスの事だろうか。

一人で勘違いしていて恥ずかしい。
泣き出しそうな顔で頬を染める綱吉に骸は目を細めた。

くすり、と小さく笑う声が聞こえて顔を上げると
骸が笑っていた。

その笑顔はいつもの骸で、
とても優しくて柔らかくて、
綱吉は釣られるようにして微笑んだ。

「笑った。」

「あ・・・」

嬉しそうに言う骸に、心が乱される。

隼人の事が心配なのに、
意識の端に追いやられてしまって
薄情な自分に嫌気が差した。

「綱吉。」

けれど骸にきつく抱き締められて、
もうそれだけで思考が止まってしまう。

「綱吉は僕が幸せにします。
だから綱吉は、僕の事だけを考えていて。」

そう言って頬に落とされたキスはまるで、
誓いのキスのようだった。





09.03.01                                                      NEXT