車の中でキスをされた。

いつものように額に柔らかいキスを落とされて、
その唇が頬へ落ちて、綱吉が身じろぐとくす、と小さく笑う声が聞こえて
潤んでしまった目をそっと上げると唇が、重なった。

水分を帯びた柔らかい唇の感触に眩暈がした。

「可愛い綱吉、大好きですよ・・・」

耳元で囁かれる甘やかな呪文はいつも
絶大な効力を持って綱吉の心を震わせた。



昨日は骸は言った通り、いつもより早めに帰って来てくれて、
初めて綱吉のベットで一緒に寝てくれた。

だけど綱吉が思っていたような事は全く起きなくて
変わりに朝までずっと抱き締めてくれていた。

あんな風に触れられて、キスまでしてしまったから
綱吉は骸を意識し過ぎてしまってがちがちになっていて
だから他愛のない会話や優しい抱擁は全て
綱吉の緊張を解くためのものだったのだと思うと、胸の奥が熱くなった。

優しく髪を梳くあの指先も、確かな腕の感触も。

骸に柔らかく吸われた唇をそっとなぞればまた、頬が赤くなってしまう。

けれど確かに胸に宿る熱を感じる度に背徳的な気持ちが沸き上がるのも事実だった。

こんなにも骸に惹かれている事も、唇を重ねてしまった事も。

骸はこんな自分を好きだと言ってくれる。
だけど骸の言う「好き」が自分と同じ「好き」なのかは
綱吉には分からなかった。

だから止める術があるのなら、教えて欲しい。
だけどもう何が起こっても、この気持ちを止められる気もしないのだけれど。

(・・・家族でも口にキスってするのかな・・・外国ではふつう・・・?)

骸が海外で生活していた時の話しも聞いているので
もしかしたら骸は挨拶のつもりでしているのかもしれない。

(・・・いや・・・でも・・・いくらなんでも家族であんな、事しない、よな・・・)

骸の大きな手が体を這った感触を思い出して、綱吉はまた一人で頬を赤くした。


下駄箱の前で完全に思考が止まってしまった時、ぽんと肩を叩かれた。
 
「よ、六道!どうした?」
 
「うわ・・・っや、山本・・・!あ、あのぼーっとしちゃって・・・!」
 
「大丈夫か?何か顔赤いし・・・風邪か?」
 
「いや、そういう訳じゃないんだけど・・・っ・・・?」
 
心配そうにしている山本の視線が首筋にじっと注がれていて
ややあってから山本の長い指が、首筋の一点を差した。
 
「ほら、湿疹出ちまってるぞ。・・・ん?痣?」
 
痣、という言葉で思わず跳ね上がってしまいそうになった。
そういえば昨日骸に吸われた所が鬱血したままだった。
 
シャツのボタンは一番上まで閉めた筈なのにそれでも見えていたのかと思うと
恥ずかしくて仕方なかった。
骸の傍にいると意識が全て骸に向かってしまっているから全然気付かなかった。
 
見る人が見たら分かってしまうのだろうが、
幸い山本は不思議そうに痣を眺めているだけだった。
 
「か、かぶれちゃったのかも・・・!」

「そっかぁ。やっぱ体調悪ぃんじゃねぇの?」

「ああ・・・うん、でも大丈夫!」
 
苦しい言い訳だと思ったけれど山本はまた心配してくれたので
申し訳ない気持にもなった。

もう綱吉の頭の中は骸で一杯で、元から進学校の授業なんて分からないのに
ますます分からなくなって、そんな時に骸からメールが入って
内容は他愛のない事だけど、思わず教科書で顔を覆ってしまうくらい赤くなってしまった。

けれど放課後に来たのは今日は迎えに行けないと
いうメールだった。
でも綱吉を心配する内容とか夕飯には帰るとか大好きだとか、
そんな事がたくさん書いてあって、また一人で頬を赤くしてしまった。

骸の事を想うだけで鼓動が早くなって顔が赤くなって、
キスしたいとか、触って欲しいとか。
これはもう恋なのだと自覚せざるを得なくなった。

(でも・・・そんなのありなのかな・・・)

だって骸は綺麗で優しくて頭も良くて、
自分とはどう考えても釣り合わない。

綱吉ははぁ、と溜息を吐いた。

骸への返信をしながら階段を下りていて、
前方不注意だという事もあった。
 
不意に肩がぶつかって謝ろうと慌てて横を向いた時、
あ、と思った。
 
思ったけれど綱吉が反応するよりも早く頬に強い衝撃を受けて
そのまま後ろに落ちていくのが分かった。
 
階段の上にいたのは昨日の上級生だった。
 
いやにゆっくり景色が流れていって、上級生が歪んだ笑みを浮かべたのが分かった。

何で名前も知らない彼にそこまで憎まれてしまうのだろうと
悲しい気持ちになって、だけど彼は何事もなかったように消えて行った。

幸い落ちた距離は短くて、体が強く床に叩き付けられただけだった。
肩に鈍い痛みが走って手から離れた携帯が床を滑って行った。

「大丈夫ですか・・・!?」

綱吉は痛みも忘れてぎょっとした。
すぐに駆け寄って来たのは担任だった。

たまたま通り掛かっただけにしては反応が早過ぎる。
ホームルームが終わって職員室に戻る筈だろうけど、職員室なら反対側だ。

「だ、大丈夫です・・・!」

綱吉は得体の知れない恐怖を感じて慌てて携帯を拾い上げると立ち上がった。
勢いを付けてしまったせいで肩に鈍痛が走って顔を顰めると担任は顔色を悪くした。

「救急車を、」

「え・・・っ!?いや、そんな大袈裟です・・・!ちょっと転んだだけで、
あの、大丈夫ですから、父さんには絶対言わないで下さい!」

言ってからはっとした。
何故そんな事を口走ったかは分からないけど
担任が目を見開いたので、綱吉は見ない振りをして駆け出した。

(見られてた・・・?)

いや、まさかそんな事はないだろう。
綱吉は思考を振り切った。

足を下ろす度に振動で頬がずきずきした。
痣になっているかもしれない。
痣を見たら骸はどんな顔をするだろう。

逃げ込むように迎えの車に乗り込んだ。

「どうされました?」

運転手が頬の痣に気付いたようで、僅かに眉根を寄せた。

「あ・・・あの、転んじゃって・・・。」

誤魔化すように笑ったら頬がずきりと痛んだ。
運転手は訝しんでいるようだった。

「父さんには俺から言うから、言わないで下さい・・・。
あの、心配しちゃうから・・・」

運転手はそれでも綱吉を小さな主と認めているようで
分かりました、とだけ言って車を出したから、綱吉はほっと息を吐いた。


直接家には帰らずに施設に寄って貰った。
寄った所で怪我が治る訳ではないが、どうしていいか分からなかったし
何より今すぐあの広い家に一人でいるのが嫌だった。

本当は骸に一緒にいて欲しかったが、忙しいから迎えに来なかった訳で
そんな骸に我儘は言えなかった。

悪意を向けられるのは、体が竦むほど怖い。
だから骸に抱き締めて欲しいと思った。
骸が恋しくて仕方なかった。

感情を持て余したまま施設に足を踏み入れた。
酷く、静かだと思った。

綱吉が顔に痣を作っていたら、子供たちが泣き出してしまうかと思って
裏口まで回ってから中に入った。

職員室を覗くと、お世話になった先生が一人で机に向っていた。
懐かしくなってほっとして、綱吉はそっと扉を引き開けた。

「あの、こんにちは・・・」

控え目に声を掛けると、先生はとても驚いたようだった。

「綱吉君・・・!?どうしたのそのほっぺ!」
 
「転んじゃって・・・」
 
綱吉を小さい頃から知っている先生には信じて貰えないのは分かっていたが
それでも小さい頃から知っているから、綱吉が心配させないようにと
気を配っているのも分かるから、先生はそう、とだけ言って微笑んだ。
 
「早く冷やさないとね。」
 
冷蔵庫から小さな氷嚢を出すと、先生は自分のタオルを取り出して巻き付けた。
 
「口の中も切れてるみたいだから、これでちゃんと口ゆすいでね。」
 
「ありがとうございます・・・」
 
氷嚢とうがい用の消毒液を受け取りながら、
綱吉は園庭を見遣った。
 
「・・・静かですね。」
 
まだ学校から帰って来てないのかもしれないが
小さい子たちも一人も外に出ていなかった。
 
「もうほとんどみんな、里親が見付かったのよ。」
 
「え・・・!?急ですね・・・ああ、でもよかった。」

それならこの静けさもよかったと思えるがそれにしても急だ。
綱吉が施設を出てまだ一ケ月にも満たないのに。
 
「ここへ来る時はお父様に連絡差し上げてね。今日は何も言わないでおくわ。」
 
「え・・・?父さん、に・・・?」

まさか骸の話題がここで出てくるとは思ってもなかった綱吉は心臓を跳ね上げてしまった。
 
「そうよ。ここはお父様の、六道さんのものだから。」
 
「・・・え?」
 
「聞いてない?もう五年くらいになるのに。」
 
全然知らなかった。
骸はそんな事一言も言ってないから、綱吉には知る由もない。

何で骸に引き取られる時に教えてくれなかったのだろうと思って
だけど子供にそんな内部事情なんて話さないだろうと無理矢理自分を納得させたが
細い細い糸が少しずつ繋がっていくような妙な違和感が胸の中に広がった。

それなら隼人が骸の秘書である柿本に引き取られたのは
偶然じゃないんじゃないだろうか。

でも、何のために?
 
「あの、じゃあ・・・隼人君は・・・?」
 
「隼人君?元気かしらね。」

「でも、施設に来たって、」

会ってない、という答えが返ってくるのは何となく分かっていて
だから大して落胆はしなかったのだけど、だから尚更戸惑った。

暗くなる前にお家に帰りなさい、と優しく微笑み掛けられて
言葉に詰まってしまった。

何も分からず悲しい気持ちになったから先生が
「もうここには来ない方がいいかもね。」と少し寂しそうに笑うのも
仕方ない事のように思えてしまって
タオル越しの氷嚢が指先の体温を奪っていって、ひりひりと痛んだ。



「綱吉君、今、しあわせ?」

車に乗り込む前に先生がふと呟いた。

綱吉は迷わず答えた。

「はい、しあわせです。」

先生は安心したように笑ってそう、とだけ言った。


骸がいるだけでとても幸せな気持ちになれる。
だから、この言葉は嘘じゃない。



それなのになんで、胸の奥がちくちくするんだろう。



09.04.04                                      NEXT