半端に尖っていた硝子がけたたましい音を立てて落ちていく。
「あ、あの・・・?」
あまりにも突拍子もない行動に綱吉は不安を隠し切れずに眉尻を下げる。
「・・・そこにいて。」
それだけ短く言い残して男は土足のまま家へと上がって行った。
皮靴に踏まれた割れた硝子がぱきりと小さな音を立てた。
ほとんど間を置かずに玄関の鍵が開いて、男が顔を覗かせる。
綱吉は瞬きをするのが精一杯だった。
「・・・五分ここにいる。何もなかったら帰るから。」
「え・・・!?あの、」
「・・・ただの喧嘩なんでしょ?」
眼鏡の奥の瞳は余程感情に乏しいのだけれど、だから、その瞳は雄弁に語る。
「・・・帰った後に骸様に何かあったらここに連絡して。」
スーツの内ポケットから出して渡された名刺には柿本千種と書いてあった。
「柿本・・・って、隼人くんのお父さん・・・!?」
千種は小さく頷いた。
ああそうか、と綱吉は一人心の中で頷いた。
「あの、隼人くんの事よろしくお願いします・・・!」
千種は少しだけ眉を持ち上げて、ほんの微かに息を吐いた。
「・・・早く行きなよ。」
「はい・・・!」
隼人には家族がいる。
もう、一人じゃない。
隼人の事は、彼に、千種に任せていれば安心なのだ。
千種が、綱吉に骸を任せてくれたように。
けれど骸には自分だけなのだと、綱吉には骸しかいないように
骸はまだ、自分が一人だと思っているのだろう。
綱吉は脱げて転がっていたスニーカーを履くと、家の中へと駆け上がった。
割られた食器棚、点滅を繰り返す明かりに、綱吉は胸が痛くなる。
スニーカーの靴底で硝子が割れる小さな音がする。
地下へと階段を駆け降りると、閉じ籠められた部屋の扉は開いていた。
やはり綱吉がいなくなったのに気付いて、骸は巻き起こる激情を持て余したのだろう。
「父さん・・・?」
覗いても薄暗いままの部屋の中には誰もいなかった。
「父さん・・・」
リビングにも誰もいない。
急激に不安が沸き起こり、指先が震え始めた。
「父さん・・・」
バスルームにもいない。
家の中が酷く静かだ。
震える膝で階段を駆け上る。
骸の寝室には向かわずに、綱吉は自分の部屋へと駆け寄った。
薄く開いた扉の向こうに、きっと骸はいる。
指先はさっきより震えている。
綱吉は息を飲んだ。
大丈夫。きっと、話せる。骸と分かり合える。
綱吉は自分に言い聞かせて、そっと扉を開いた。
扉を開くとカーテンが風で静かに揺らめいた。
窓から差し込む薄い光の中で、骸は綱吉のベットに体を横たえていた。
肩に掛かる長い髪が、薄暗い部屋の中で艶を帯びている。
骸は背中を向けているから、表情は伺えない。
荒れ果てた家の中の、それでも綱吉の部屋だけは、綺麗なままだった。
胸が、酷く痛む。
綱吉の瞳がじわりと滲んだ。
「・・・父さん、」
呼び掛けても、骸は微動だにしなかった。
「父さん・・・?」
振り向きも動きもしない。
綱吉は体中の血が引いていって、顔を青褪めさせた。
「父さん・・・!」
叫ぶようにして駆け寄って、転ぶように骸の前に膝を付いた。
骸は目を伏せたまま、長い睫毛を揺らめかせた。
睫毛の下で、その瞳が光を弾く。
綱吉はほっと息を吐いて、投げ出されている骸の手に視線を落とした。
「あ・・・、」
硝子で手を切ってしまったのだろう。
骸の白くて長い指に無数の切り傷が刻まれていて、じわりと赤が滲んでいた。
「ごめ、ん・・・父さん・・・ごめんね・・・」
震える指先でそっと、慈しむように骸の手に触れた。
骸は一度瞬きをするとゆっくりと体を起した。
表情のない目元からぱたたと涙が落ちた。
綱吉の小さな手から、するりと傷付いた手が抜けていく。
「父さん・・・」
骸を追うように見上げるが、骸は綱吉の声が聞こえていないように綱吉に視線を向ける事はなかった。
「・・・この家は、君が使ってください。」
「え・・・!?」
骸は静かに床に足を落とした。
「修復が終わるまでは、どこか用意します。」
「父さん・・・?」
するりと綱吉の横を擦り抜ける。
目で追うが、骸は振り向きもせずに出口へと足を向けた。
長い髪が揺れる。
綱吉は言われた言葉の意味を飲み込めずに、ただただ呆然と骸の背中を目で追っていた。
「安心してください。これまで通り、この先も君が生活に困らないように配慮します。」
「どういう意味・・・?別々に暮らすって事・・・?」
漠然とした予感に、綱吉は声を震わせた。
肩越しに微かに振り向いた骸の長い睫毛が揺れた。
「その方が、君も楽でしょう?」
突き離すよりは柔らかく、それでも近付く事を許さない声色に
綱吉は目を見張って、無意識に小さく首を振った。
「待ってよ、父さん・・・別々に暮らすのなんて嫌だよ・・・」
骸は睫毛を伏せただけでまた綱吉を視界から外すと、歩き出す。
「父さん・・・」
呼び掛けても振り向かない。
泣き出しそうに顔を歪めた綱吉の瞳はみるみる内に涙を含み、
激しく脈を打つ胸を掴む。
骸が行ってしまう。
こんなに大好きなのに。
こんなに愛してるのに。
カタカタと震える体を抑える事も出来ずに、綱吉は短い呼吸を繰り返した。
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