ツナヨシは日に日に眠っている時間が長くなっていった。
この世の色とは思えないほど白かった羽は灰色を帯びて、今はもう仕舞うことすら出来なくなっていた。

「むくろ・・・俺・・・子供出来たのかな」

口は元気だけど。

「何洗脳されてんですか・・・!君は男ですからね・・・!?そもそも子供が出来るような」

房を逆立てる勢いで言うと、ツナヨシはもう眠っていた。

「・・・っ」

やり場のないモヤモヤに口元を引き攣らせ、最近ではすっかりオーバーリアクションになったので仰け反った。そしてふと我に返る。

(くそ、オーバーリアクションまでうつった)

もう絶対しないと心に固く誓って何となく窓の外に目を向けると、空で月が煌々と輝いていた。

「・・・」

部屋の電気を消すと月明かりが部屋を淡く染め、そしてほんの微かツナヨシの羽が光を弾いた。
骸は迷わずツナヨシの襟首を掴みがくがくと揺すった。

「ぶふっ」
「起きなさい。屋上に行きますよ」
「行く!」

ぴょこんと起き上がったツナヨシはいそいそと上着を着たのだが、着ている途中で眠り始めて骸に叩かれた。
大変不本意だが、ツナヨシをお姫様抱っこして移動するのに慣れてしまっていたので、自然とそうしようとするとツナヨシは珍しく首を振った。
そしてモジモジし始めた。

「あ、あのさ・・・そろそろいいと思うんだ」
「・・・はあ?」
「そろそろおんぶでもいいと思うんだ」
「・・・っ」

そんなに恥らうことなのか!と盛大に突っ込みたいところだが、引き攣った口元を押えるに止まった。
そんなこと言って恥らう理由とか延々と述べられたら顔面崩壊は免れない。
骸は引き攣る頬を押さえながらツナヨシに背中を向けてしゃがんだ。

何かあったかいのが乗かってきたけど体重はほとんど感じないので、妙な気分に顔を引き攣らせながら立ち上がった。
ツナヨシがくてんと肩に顎を置いたので視界の端にツナヨシが見える、それはいいとして。
うとうとするから柔らかい髪の毛が頬をこちょこちょして、くすぐったいというより顔面が引き攣る。もう引き攣りっぱなしだ。

「ちょっと」

怒って横を向くとツナヨシがびくんと顔を起こし、頬と頬がぴったりくっついてしまった。

「ちょ・・・!いきなり起きるな・・・っ!!」
「ち、ちが、わざとじゃないんだってば・・・!」

少なからず動揺した骸の腕の力が弱まって、ツナヨシは頬を真っ赤にして勢いよく仰け反り、仰け反り過ぎて足を軸にベロンと体が反転した。

「何してるんだ・・・!」
「ふぐぐ」

反転したツナヨシの背中がベロンベロンと骸の腿の裏に当たる。

「人に見られたらどうするつ」

振り返るとちょうど何事かと玄関から顔を覗かせた住人がいた。
目が合った。

「・・・」
「・・・」
「・・・」

住人は良く分からない状態になっている骸とツナヨシを確かに見たはずなのに、何事もなかったようにそっと玄関を閉じた。

まぁ確かに変質者みたいだよね。
背中に羽くっついてるのいるしね。
それを腰にぶら下げて怒ってるとか全然分からないよね。

「・・・」
「・・・」

二人は無言で体勢を整え直すと、屋上へ向かった。
屋上の上に広がる深い夜の空は冬の冷たい空気で澄み渡り、月も星も瞬きをするように煌めいている。

背中のツナヨシを振り返ると、もう眠っていた。部屋から持って来たタオルを地面に落として、その上にそっとツナヨシを座らせる。

月の光りを浴びて、心成しかツナヨシの頬に赤味が差した。

「・・・」

この先、どうなってしまうのだろう。人間と同じように、眠ることで体力を回復させているのなら問題はないのかもしれない。
けれど、もしそうだと仮定すると、ツナヨシの体力はどんどんなくなっているということでもある。


一体どうしたら―…


強い風が髪を揺らした。

巻き上がる風に強く目を閉じ、ゆるゆると瞼を持ち上げ、骸は目を見張った。


屋上を囲む細い柵の上に、男が立っていた。


白い肌に白い髪を揺らし、纏う服までも白かった。


男は光る月を背に、切れ長の瞳を細めて微笑んだ。薄いバイオレットの瞳が光りを弾く。

「やあ。僕を呼んだ?」

男はにっこりと笑った。

「バカは間に合っているので帰ってください」

そして骸はキッパリと言い切った。だっていきなり柵の上に立っているなんて、関わりたくない類の存在に違いない。

「んん、辛辣だねぇ。僕にそんな口利いちゃっていいのかな?後悔するよ」

うわあ、絶対バカだ。

「これ以上バカが増えると厄介なんですよ。帰れ」
「君ねぇ」

男は飽くまで笑みを崩さずに軽やかに屋上に降り立った。

「さっきからバカバカって、バカって言う奴がバカなんだよ」

男はふと笑みが引き、骸を見下すように緩く顎を持ち上げた。

「バ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜カ」

血管がブチ切れそうになった。

じゃああんたもバカだな!と言ってやりたい気持ちを針を飲むような思いで堪える。言ってしまったら同類だ。
バカは無視するに限るバカは無視するに限るバカは無視に限ると念仏のように心の中で唱えていると、強い風が吹き、光が散った。


あまりの眩しさに瞬きも忘れ、目の前に流星群が落ちてきたのかと錯覚した。


風が緩やかに落ち、光りは七色に煌めきながらやがて淡雪のように降り注いだ。
光りの中で見た男の背には、白よりも白い、大きな翼が伸びていた。

骸は目を見張り、はっとして振り返ると、ツナヨシのくすんだ羽が呼応するように光りを孕んですぐに消えた。

「そこにいるの、ツナヨシくんだよね」

男は緩く翼を羽ばたかせる。光が柔らかく降り続けて、骸は目を見張ったままだった。

「・・・司祭、ですか・・・?」

確かめるような声色で呟くと、男はぱちりと瞬きをした。

「あれれ?司祭たちを知ってるのかい?君、人間だよね?」
「・・・人間ですけど」

翼を生やした生きものに人間かと尋ねられる日がくるとは夢にも思わなかったが、一応答えておいた。

「ふうん?知っているならあんな野蛮な連中と一緒にしないで欲しいな」

男は目を細めて笑う。

「まあいいや。やっと話しを聞く気になったみたいだから。僕はそこにいるツナヨシくんと同類だよ」
「・・・やっぱりバカなのか」
「んん、少しバカから離れようか。じゃないと君の首へし折っちゃいそうだよ、バ〜〜〜〜〜〜カ」

それはこっちの台詞だ!と言ってやりたいのを何とかこらえる。骸は盛大に引き攣った口元をばっと押さえた。

「もう気付いてるみたいだけど、僕たちにとってここの世界のものは毒でしかないんだ。今こうして包まれている空気でさえね」

はっと顔を上げた骸に、男はそっと目を細める。

「だからツナヨシくんが弱ってしまったのも無理はないんだよ」

男は思いも寄らず、真摯な声で柔らかく言葉を紡いだ。

「君は、何も悪くない」

瞳を揺らした骸に、男は言葉を続けた。

「僕なら、ツナヨシくんを治すことが出来るよ」
「・・・え?」

男は緩やかに微笑む。

「出会ったときと同じように、元気なツナヨシくんに戻すことが出来る。僕に、任せてくれるかな?」

ぎゅっと腕を掴まれて、はっと我に返って視線を落とすと、いつの間にか起き出したツナヨシがフラフラと傍に立っていた。

「駄目だ・・・骸」
「・・・え?」
「白蘭は、」
「あれ、もう起きちゃったの?ツナヨシくん。もう少し寝てなよ」

バイオレットの瞳が細められると光がざわめき始めた。

途端に空気の流れが変わる。

骸は目を見張ることしが出来ず、それでもツナヨシを庇うように自分の後ろに押し込んだ。
巻き上がる風に髪を強く靡かせて、白蘭と呼ばれた男は楽しそうに目を細める。

そして視界の端に革靴が映った。

え?革靴?としか思えない思考の中で、革靴が空から落ちて来る。

正確には革靴を履いた少年が上から斜めに視界を横切って、そしてその革靴でツナヨシの頬を踏むように、蹴った。

「ぐふう」

ツナヨシの潰れるような声が漏れる。白蘭も思わずぽかんと口を開いている。
少年は地面とこんにちはしてしまったツナヨシの顔に、当たり前のように足を置いている。

10歳ほどのその少年は、黒衣のスーツに身を固め、生気のない青白い顔に帽子を目深にをかぶっていた。
月よりも深い金色の目が光る。

骸に視線もくれずに、素早い仕草でジャケットの胸元から銀色の拳銃を抜き出し、銃口を白蘭へと向けた。

「やあ、リボーンくん」
「よう。てめぇ今までどこに隠れてやがった?」

白蘭は銃口を気にも留めずにくすっと笑った。

「嫌だな、隠れたことなんてないよ。僕を見付けられないのは偏に、君たちが僕より劣っている生きものだからだよ」

銃口から放たれた弾丸が白蘭の足元のアスファルトを弾いた。

「おっと」

白蘭はひらりと翼を舞わせて身を翻し、柵の上に体を移した。

「本当に野蛮だよねぇ。天使を殺すと大罪だよ」
「クソが」
「まぁ、正確に言うと僕は「元」だけどね」

一度大きく羽ばたいた翼は瞬きをする間も開けずに、漆黒の翼へと変貌した。
翼を縁取るように月の光りが這った。

「それでもリストには載ったままだからね。丁重に扱ってくれないと困るよ」

短く舌打ちをしたリボーンにくすと笑って、白蘭は目を見張ったまま動きを止めている骸に視線を向けた。

「願い事があったら僕を呼ぶといいよ」

耳貸すなよ、と忌々しげに言うリボーンに、白蘭はまた笑った。

「な〜んでも叶えてあげる。君の魂と引き換えに、ね」

にっこりと屈託なく笑って黒い翼をはためかせ、風に乗ってあっという間に空へと消えて行った。

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