いるのかいないのか

ぽつりと呟いた骸に、隣で同じように野菜を切っていた男子は危うく包丁を取り落としそうになった。

「どうしました六道さん・・・？高熱でも出ましたか・・・？」

「何故高熱限定のなですか・・・？」

何となくそんな気が、と言いながらさらりと髪を振り、そしてとろけるような笑顔で言い切った。

イタリア人かなんだか知らないが、このランボという留学生は

聞いているこっちが恥ずかしくなるような事を平然と言って退ける。

骸は聞いてるだけで歯が浮くというよりは歯茎から死ぬほど出血しそうな、

鳥肌を通り越して下手したら蕁麻疹になりそうな勢いだ。

「六道さんも、六道さんだけの天使を見付けましたか？」

思わず叩く仕草でばっと拳を振り上げると、ランボはばっと頭を庇ってその場に蹲る。

しばらくそのままの体勢でちょっと間が空いた後、

二人は何事もなかったようにまた野菜を切り始めた。

すぐにびくびくする所がちょっとツナヨシに似ていると思ったけど

ランボはあそこまで馬鹿じゃないから一緒にするのも可哀想かと思った。

朝も早くから爽やかな笑顔で店に入って来たのはマスターのディーノだった。

「・・・マスター、シャツが裏返しです。」

どうしてボタンを嵌める時に気付かないのか。

ディーノは躊躇わずシャツを脱ぎ始めた。

「こんな所で裸にならないで貰えますか。」

「いいじゃねーか！男同士なんだし」

イタリア人がなぜ日本でコーヒー店を営んでいるのかは謎なのだが

そういえば迷惑なのに今も家に遊びに来ているジャンニーニが言っていたように、

この地域は働く外国人を優遇しているらしいが

どちらにせよ何でイタリア人がこんな所でコーヒー店を営んでいるのかは謎のままだ。

「・・・マスター、ジーンズ破けてます・・・」

裏腿のあたりがばっちり縦に裂けていて、白い肌があられもなく晒されている。

「あれっどっかで引っ掛けたかな。」

引っ掛けたとかそういう次元の話ではない。

ボタンが飛んだとかそういうレベルではないのだから

引っ掛けたというならその時に気付いてほしい。

間抜けな所がツナヨシにちょっと似てるな、と思ったけど

ディーノはあそこまであほじゃないので一緒にするのは可哀想かと思った。

この二人は背も高いしとにかく見た目がいいのと、
物腰も柔らかなので客の大半は女性だった。

幼稚園のマセた女の子から杖を突いたおばあさんまで押し寄せて

骸はといえば、近付き難さは鉄壁のごとく、

小さな子供が泣いてしまうほどだった。

几帳面なので二人が出来ない経理とか在庫管理とか、重宝される部分が大きい。

接客は二人に任せていつもコーヒーを淹れたり裏方の仕事をしていた。

ディーノもランボも色々強烈だが、決して悪い人間ではないので
骸も学生でいる内はお世話になろうかと思っている。

「ああ、どこの天使ちゃんだろう。熱い視線を感じる。」

隣でランボが悩ましげなため息を吐いて、

自分の足をふんずけてバランスを崩したディーノが

紙ナプキンをまるで羽のように舞わせていた。

いつも通りの朝が始まったと骸は遠い目をした。

まぁ、いるのかいないのかを人に訊いてみたところで栓の無い事なのだけれど。

ぽつと呟いた骸に、まるで世界の終わりを見てしまったような恐怖に満ちた表情で犬は顔色を完全に失くした。

がたがたと震えながらも犬は骸の隣の席に腰掛けると、辺りをきょりょきょろしてから

秘密を打ち明けるようにそっと骸に顔を寄せた。

「俺、天使っていると思うんれふよ。」

他にもツナヨシのように間抜けにウロウロしているのがいるのかとも思ったが

きっと間抜けなのはツナヨシだけなのだろう。

「施設にいた頃、お話しの時間よく聞かされてたんれふけど、めっちゃカッコイイんれふよ！」

顔を輝かせて興奮気味な犬の姿に、巨大ロボの話しとか、

何か違う話が混ざってるんじゃないかと遠い目になりかけたがとりあえず聞いてみる事にした。

まぁ一般的な認識なのだろう。実際生えてたし。

「そんでみんな美人らしーれふよ！」

骸はツナヨシを思い出し、ふっと薄暗い笑みを浮かべた。

ちょうどそこにあった小さくて白い鼻を人差し指でみゅ、みゅ、と押した。

ばっと見遣るとツナヨシが頬を赤くしてへにゃっと笑った。

理由は何であれ、鼻を触って貰ったのが嬉しいらしい。

「あー！こないだ公園にいたちっこいのら！」

「骸が勉強してるところ見てみたくて・・・」

骸がツナヨシの襟首を掴み上げると、ツナヨシの足はぷらんと浮いた。

「間違えてこんなもの持って来てしまったのは誰ですか・・・！？」

疎らに座っている夜間のクラスメイトたちは知らなーい、と一様に首を振った。

控え目な声に振り向くと、そこには骸と同じような髪形の、ショートカットのボーイッシュな女の子が立っていた。

「まさかクロームですか・・・！？」

「・・・はい。日誌取りに職員室に行ったら、骸さんの奥さんって言うから・・・」

「骸しゃん！！結婚したんれふか！！」

犬の嬉しそうなキラキラ笑顔に絶句した。

恐らく声を発するのが面倒で黙っていただろう千種まで祝いの言葉を述べた。

このままでは学校までもオママゴト会場だ。

「落ち着きなさい・・・！落ち着き、なさい。」

ツナヨシをぷらんぷらんさせながら骸は手を広げて拍手を鎮めてから

ぷらんぷらんしていたツナヨシを床に下ろした。

「いいですか、この子は男です！」

ツナヨシのＴシャツを後ろからぎゅう、と引っ張ってその平たい胸のラインを露わにさせた。

ツナヨシは露わになった胸のラインを見下ろしてからばあっと頬を染めて胸元を隠した。

「や、やだ・・・骸、こんな所で・・・」

「誤解を招くような言い方をしない・・・！」

はっ、として教室を見渡すと、静まり返っていた。

相手は男だし、骸は全力で否定しているのだから。

とにかくツナヨシを追い返そうとした時に、クロームが呟いた。

「・・・贅沢は言ってられないわ、骸さん。」

「・・・いや、話しさえしなければそれなりに。」

「言いたい事言ってますよね・・・！」

「らって骸しゃんの奥しゃんになりたいなんて物好きめったにいないと思うんきゃん！・・・ぐふっ」

ごん、と頭を叩いた骸に続いてクロームが無表情のまま容赦なく犬の鳩尾に膝を食らわせた。

「・・・てんめー・・・クローム、何すんらよ・・・！」

目を剥いた犬の頬に容赦ない平手打ちが炸裂し、

取っ組み合いの喧嘩が始まるがいつもの事なので、

いつものように千種は面倒臭そうに頬杖を突いているだけだった。

骸もいつもの事なので放っておいて、ツナヨシをきっと睨んだ。

ツナヨシはびくっと体を引き攣らせる。

小声になって少し顔を寄せると、ツナヨシははっと頬を赤くして目を閉じた。

キスされるのかと思い込んでいたのに頭を叩かれたのでうう、とぐずっているツナヨシを無視してまた少し顔を寄せた。

「・・・君、自分が人間ではないと誰かに言ってませんよね？」

ツナヨシは珍しく神妙な面持ちをした。

「俺、天使である前に骸の奥さんだから。」

これはもう速やかに帰って頂かなくては。

襟首を掴み上げてついでに忠告をしておく。

「いいですか？自分が天使だとか羽が生えるとか僕以外に言ったりしたら

君の苦手な警察に捕まって変態と一緒にぶち込まれますからね。」

ツナヨシはみるみる顔色を失くして、何度も頷いた。

少し怖がらせるくらいでないと、うっかり言ってしまいそうだし

そんな事を言い続けていたら本当に病院送りだ。

別に認めた訳じゃないけどもし本当に捕まってしまったらどうなるか分からないし。